私は、「自分の能力がないからダメなんだ」という自己否定の発想からスタートしているので、
女性とか、赤子とか、「弱そうな」相手を見ると、
「この人だいじょうぶかな?」とすぐ心配になる癖があります。
でも、以前の日記で書いたように、その心配は不当で、
私は最初から、女性も赤子も「信じることができている」のです。
そしてそれは、すべての人も同じだろうと思います。
「不信」とは、
「すでに信じることができているのに関わらず」「『自分は相手を信じていない』と、有意識が事実誤認すること」です。
私はそれをよくやります。
よくやりますが、これは健全ではありません。
女性は、敵対する相手ですが、
私は敵を信じています。
相手が敵であっても、敬意を払うことはできます。
女性らしさの象徴である「感受性」と、そしてそれをケアするための「印象作り」これらは、前回の日記で、全肯定したところです。
敬意を払って、それはやり続けたいと思いますが、
基本的には敵対関係である、というがんじがらめな構造も受け入れつつ、
女性を信じよう(信じていないという事実誤認を止めよう)と思います。
私にとって、信じることは「仕事」です。
大丈夫なんだ、と安心しようと思います。
おわり