【趣味日記】競争と協奏

以下に書くのは、私の独自の考えなので、真に受けない方がいいのですが、

 

どのように情報を処理するかは、お任せします。

 

世の中では、本当に困っている人・・・

 

貧困&虐待家庭で育った子とか、

 

一人親で働きながら子育てしている人とか

 

職場環境で精神を病んでいて働きたくても働けない人とか

 

に対して、「手を差し伸べる仕組み」が十分ではありません。

 

「弱者は滅びよ!」というルールがあるようです。

 

そのため、社会的地位が高くて、お金もある人でも、「弱者救済のために」投資したり、その権力をふるったりすることは、全くないわけではありませんが、

 

「根本的な解決は、しなくてもいい、しないほうがいい」という感じに見えます。

 

これを正当化するために、個々人本人の「自己責任だ」という言い方もあります。

 

しかし、本質的な正当性というのは、別にあるようです。

 

それは「みんな競争している」という世界観です。

 

例えば、金無くて、仕事に活かせる技術も乏しくて、毎日カップラーメンばっかり食べて、健康を損なって無職になってる人がいたとして、

 

その人がもしも「自分の競争相手だったとしたら」

 

「あぁ、勝っているな」という判断になります。

 

ここでその現時点での敗者を、支援するということは、「敵に塩を送ることになる」。

 

短期的な目線では、この格言があるように「敵に塩を送る」こともありえますが、

 

より長期的な、それこそ「永遠」を生きる前提であるならば、

 

「敵(競争相手)に対して塩を送る」メリットも必然性もなくなります。

 

なぜなら「自分は常に勝っていなきゃいけない」のだから。

 

そして、「メリットも必然性もないような」「手段を用いることは」

 

「戦略上、あり得ない」「だから弱者は救わない」となります。

 

他方、私は、競争にはほとんど興味ないです。

 

仮に目の前に「健康を損なっている無職の人」がいたとして、

 

その人に対して、私が何らかのテコ入れをして、「元気になって、前向きな気持ちで就職・バリバリ働いて、圧倒的な技量をもつまでに成長したとしても」

 

つまり「その人が私を追い越して、競争の勝者になっても」

 

別にいいや、と思っています。

 

自分が敗者になって、何か困るなら、私が努力してまた追い越せば良いし。

 

結局、競争って、「世界が通常営業で、競争する箱(競技場)が整っている」という条件下で、初めて成立するものです。

 

そして、競争は、政治的な管理手法でもあります。

 

どんなに速く走るサラブレッドがいても、そして、その能力がバケモノじみている脅威であっても、

 

「その馬が『競走馬』でいてくれる内は」JRAがプスッと注射打てば、その名馬はおだぶつです。

 

その条件を満たしているならば、まったく脅威ではありません。取るに足らない名馬です。

 

というような背景があるのを知識として知っているので、

 

私にとって、競争はひまつぶし・遊びです。

 

最優先すべきなのは「フツーに競争ができるような条件をクリアすること」です。

 

JRAをしっかり形作っていく、盤石にする、競馬場という箱を整える、ということの方が、「サラブレッドががんばって競走すること」よりも、遙かに重要なマターです。

 

競争する場さえ整えば、

 

後はテキトーに競争して、5着なら、じゃあがんばってトレーニングして、1着でも取るか~とノンキに遊んでればいいだけです。

 

で、現状、競争の場が整っているかどうかというと、

 

ヒアリングしたところ「まもなく整う」とのことです。

 

「まもなく」がどの程度のスパンを想定して言っているのか不明ですが、とりあえず「まさに今」の状況で言えば、「競争にしけ込む環境は整っていない」ということです。

 

そうであるならば、「条件整えようよ」が最優先になります。

 

その条件が、何なのか、具体的に特定してピンポイントで述べるのが難しいのですが(情報を持っていないので)、

 

おそらく、「競争がある程度過熱しても、穴が開かない」という感じだと思います。極めておおざっぱな言い方ですが。

 

競争が過熱したら、例えばJRAが儲かりすぎてしまう。

 

それがバランスブレイカーになりうる、とか、そんな感じだと思います。

 

JRAをエネルギッシュにRUNさせるためにリソースが割けない、とかですね。

 

JRAもJRA単体で存在しているわけではないですので、外のより大きい世界の都合で、リソースを割けない、最適解じゃない、とかいう事情がありえます。

 

ちなみにJRAは「競争の場」の比喩ですよ?リアルJRAさんはあまり気にしないでください。

 

なので、結局何が言いたいのかというと、

 

「競争に勝つことが第一優先」「それさえ成功すれば大丈夫」っていう世界観は、

 

「75%くらいに薄めても」、支障ないかもしれませんし、むしろその方が好ましいかもしれない、という考えがあるよってことを言いたいです。

 

薄まった残りの25%の世界観で、「弱者に塩を送る」ことも、「ありえるよ」「許容されうるよ」ってことですね。

 

「弱者に塩を送って」「みんながある意味協奏して」「結果、競争の場が整う」のであれば、

 

それは正着になります。

 

めっちゃ簡単に言うと、「私は硬い頭を柔らかくして、状況に対応してます」ということです。

 

ご参考になれば幸いです。

 

おわり