マイクロソフトのニュースポータルサイトみたいな画面(Edgeを起動すると自動的に表示される)で、興味深い記事がありました。
そのタイトルは
結局、宇宙は有限?無限? 宇宙ファンも混乱する問題を物理学者がとことん解説
で、この「宇宙は有限か、無限か問題」は、私のライフワークでした。
「この問題を解くまでは、死ねない」
逆に言うと「この問題が解けたなら、もう何かの理由で死んでも悔いは無い」
という重要テーマです。
なぜこの問いが重要だったかというと、「答えによって、取るべき行動が変わってくる」という意志決定都合で、非常にクリティカルだったからです。
もし、「有限」であれば、ある程度マイペースで「サボれる」んですけど、
一方、「無限」だった場合が最悪で、「最大パフォーマンスで走り続ける」必要が生まれてくるんですよ。
「全力で走り続けるのきついな~やだな~」と思いつつ、「実際どうなのか、考えなきゃな」と思って、言語を用いない思考で、ウンウン考えていました。
当時の結論としては「宇宙(というか存在ALL)は有限」という答えを得ました。
私目線では、どうあがいてもこうなる。だから「宇宙は有限」は私の答えです。
記事では、結論は以下のように締めくくられていました。
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我々が現在観測できる半径138億光年内の宇宙は、138億年前にはサイズが極めて小さい体積の、高温かつ高密度の状態にあった。しかし、宇宙全体はその領域を超えてはるかに広がっており、無限の体積を持っていたと考えても、現在の観測事実とは矛盾しない。
ただし、数学的な意味での無限大の体積を持つ宇宙が、物理的に実在するかどうかは、直接観測で証明できるものではなく、むしろ哲学的な問題に帰着する。
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なるほど、一般的な理解としては、誤りが少ない感じじゃないかと思います。
ただ、私も「無限」とかゆってますが、
数学で「無限」とかゆうじゃないですか。
無限なんて、観測上、認識できるわけないんですよね。
「無限大の数」って、「数え切れないから」「そんなもの見えない」んです。
で、数学の世界では、「∞」とかで、「ハイ、無限いっちょう!」みたいな
寿司握るみたいに、簡単にパッケージしてますけど、
その瞬間に「有限」になるんですよ。
この辺は、前の日記の入れ子構造と関係してきますけど。
つまり「∞」は、「有限の無限」であり、それはどうあがいても「有限」なんです。
今書いたのは言葉遊びチックなんですけど、(現象としての)思考で実践しても、やっぱり、「マジの無限は知覚不能、よって宇宙は有限である」という結論を得ました。
で、結局、存在論的には「知覚されていないもの」は「存在しない」、ですから
「存在するものは」「すべて知覚されている」です。
「知覚依存」なんですよね。
で、知覚はひとつの現象に過ぎませんから、
「知覚できない」=「存在しない」が、どこまでも、どこどこまでも「ある」ということになり、
「存在しないものが、ある」=「・・・」となり、
ヴィトゲンシュタイン先輩のように「語れないものについては沈黙しなくてはいけない」
で、おわりです。
こうやって見ると、明らかに言葉遊びなんですけど、
結局、語り尽くせない対象の前では「論理のへぼさ」が浮き彫りになることを認識するような会になってますね。
こういう事を考えて、普通に朝ごはんを食べる、納豆の糸をウネウネさせてると、
世界観のギャップが面白いなと思います。
おわり