【徒然日記】あんのさーん

安野さんに、おじさんからアドバイスを虚空に投げておくと、

 

AI業界とか、重要視すること自体は、どう選好してもいいと思います。

 

ただ、あなたが優先順位第一位に据えるマターは、

 

「AI政策」ではなく、「自己の保全」です。

 

なぜこんなことを言うかというと、

 

安野さん自身というよりも、安野さんが乗っている立場・レールというものが、

 

私から見ると、今、非常に危険に見えるからです。

 

「自分は、ちゃんとやってる」って思っても、

 

その当人が、せっせと、台風の中、高潮の海に入って、沖の方にエッホエッホとサーフボードに乗って、大海に繰り出したら、

 

簡単に死ぬよ?っていうロジックです。

 

それが読めていないからこそ、そもそも気軽に、政界に入ったりするっていうことだと思うのですが。

 

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<安野さんが立ってる地点が、なぜ今危険なのか?の簡潔な説明>

 

ヤフーニュース記事によると、安野さんは国会で高市さんに、

 

「AIによる社会への影響度は大きく、過小評価すべきではない」

 

「これからの日本社会にとっては、いかにAIを使い倒すことを実現するか?が、重要で必要になる」

 

っていう趣旨を言っていますよね。

 

で、すでにロジックが破綻しているんですけど、

 

何で東大卒で、国会で、破綻したロジックを披露しているんですか?YOUは?

 

安野さんの人格攻撃にならないように、言い方を変えると、

 

安野さん自身は、正気なのでしょう。ただし、あなたが今、上に載っているプレートが、破綻しているから、危ないよって言っているんです。

 

あなたは正常で、正当でも、乗ってる地面の場所が、極めて危険なので、安全を確保した方がいいよっていうことを言っています。

 

で、私のAIに関する懸念を、具体的に以下に書きますが、

 

「AI政策」の問題点って、「人間社会と、AIが、それぞれ大きな歯車として、かみ合っていない」っていうのが、クリティカルなんですよ。

 

両方の歯車がかみ合っていない状態で、それぞれを強引に接続して(社会実装して)、それぞれがRUNすると、どうなると思いますか?

 

バッティングして、ぶっ壊れるでしょう?

 

だから、AI導入による、社会への影響・インパクトは、大きくて、リスクがあるんです。

 

その場況で、「AI利用を、ガンガン推し進めて、エンジン全開で高速回転させることが重要です!」

 

って、あなたは、国会で、言ってるんですよ。

 

これすなわち、「現状、かみ合っていない部品同士の摩擦を最大化して、絶対に、社会を故障させるような大事故を起こすことが重要で必須です!」

 

って言っているのと同じだから、ロジックが破綻しているってゆってるんです。

 

で、私が、丁寧に、落ち着いて、この状況を解説すると、

 

まぁ、ほぼ確実に、安野さんは、

 

AIと、人間社会(のシステム)という、それぞれの歯車部品が、

 

かみ合っていなくて、バッティングしているという現状が、

 

「見えていない」わけですよね。そうでっしょ?

 

だから・・・今、知って!よね!っていう趣旨の日記です。

 

「いや、バッティングなんてしていないし、これからも両輪は、ちゃんと嚙み合って、スムーズにRUNしますよ」

 

っていう認識ですか?じゃないでしょう?ねっ、ねっ。(何このテンション?)

 

ちょっと、普段引き出さない新キャラが出てきて、ちょっと面白くなってきましたが、

 

この説明で、安野さん、マジで、反論可能ですか?

 

なんとかミュトスとか、すでに警鐘をみんな鳴らしていますよね。

 

あれ、既存の経済システムと、バッティングしていませんか?歯車はかみ合う見込みが立っていますか?

 

めっちゃすごい丁寧に説明するやん私!そんな難しいことゆってないでしょう。

 

大きな齟齬・摩擦が現状あることは「明らか」でしょう。特に、洞察力なんて、必要ないくらい。

 

これが、「ちょっと軋轢があるね」っていう程度なら、別にいいんですよ。

 

「都度、調整」で、全然大丈夫ですから。

 

ただ、「もう、大事故レベルの故障、機能停止」が起こる水準のインパクトが想定されるので、エクストリームなリスクが高まっていますよ。

 

で、ちょっとAIから離れておくと、

 

すでに、「ホルムズ海峡封鎖」マターによって、リスクはエクストリーム級ですよ。

 

ここに、さらにAIバッティングリスクを、「おかわり」する必然性って何?

 

黙っていても、おそらく少なくとも日本経済は、いったん死にますよ。これは見込ですが。(だって、イラン戦争の短期終結の見込みが立っていませんから)

 

こっからさらに、「AIを社会実装推進して、高速RUNさせて」「故障起こしたるで!」

って、ゆってるのは、あな~た~♬

 

っていうか、これって、チームみらいの総意なの?

 

誰も、指摘してあげないんだ、フーンそうなんだ。(また新キャラが出てきた)

 

あのね、私は狂っている風見せておいて、実は冷静にもなれる、狂人なんですよ。

 

だから、もうこれ以上ぐだぐだ言わないので、

 

「私の、個人的な考え」を言いますね。

 

<どうすれば、AI導入の社会へのリスクを低減できるか、その方法>

 

先ほども言ったように、AI技術の歯車としての在り様と、現行の日本社会のシステムの在り様が、

 

バッティングしている、言い換えると、領域侵犯が起こっている、

 

国同士に例えると、「戦争やっている」というのが、「現状と、将来見込」です。

 

であるならば、解は、「バッティングをクリアーする」っていうことになる。

 

だって、それが一番の問題なんだから。

 

「じゃあ、どうやって、バッティングを回避するか」っていうと、

 

これ別に、特に難しくないんですよ。

 

「AI利用の、領域を、法規制などで制限して」、

 

「現行社会システムへの、領域侵犯が起こらないように」

 

「AI側の、歯車の形をデザイン(設計)」すれば、完全にセーフティですし、

 

AI技術の社会実装、それによる、生産性とかの向上とかの文脈では、

 

「これが唯一で、これ以外にありえない、最適解」になるでしょう?

 

これって、別にすごいアイディアでも、よく考えて、ひねり出した妙案でもないですよ。

 

私が、気軽に書いていた前の日記でも、ゆってましたし。

 

こんなの当たり前レベルだし、比較的、誰でも思いつくし、逆に「これ以外ないじゃん」っていう策ですよ。

 

それを、「政治が」「やらない」って、どういうお祭りわっしょいですか?

 

社会システムに、確実な故障を実現して、機能停止させて、

 

喜ぶ祭りですか?

 

「それ、やります!」って、国会でゆってるのが、政治家安野さんっていう状況ですよ?

 

っていうんがあるんで、

 

例えばソフトバンク社も、すでに「AIを用いた、店の来客予想ソフト」(だっけ?)みたいなアプリを、販売していますよ。

 

天気予報とかのインプットとか、あと知らんけど、多分ロケーションとか、人口分布とかの情報をAIに入れて、

 

そんで、「あなたのお店は、今日は、雨だから、このくらいのお客さんきそうです」みたいな出力をする仕様のアプリだったと思います。(違ったらすいません)

 

これって、結局、「AI技術は」「店長が参考にできる情報提供」っていう枠内に収まっているから、

 

まぁ、結局、「天気予報」みたいなものですよ。

 

あとは予測精度によって、このソフトの質が決まってきますが、

 

天気予報だったら、「明日は腫れです」とか。

 

それ見た人は、「あぁ、晴れるんだ。じゃあ、高尾山に遊びにいこうか」とか判断して、

 

当日、予報通り晴れで当たったね、とか、予報は晴れだけど、実際はちょっと曇ってたねとか、

 

そういうレベルのもんでしょう。

 

だから、これは「AI技術と」「現行の社会システム」が、バッティングしていませんよね?安全でしょう。

 

そもそも、「予想」だし。まぁ、大体当たるけど、たまに外れるよね。それを織り込んで、みんな予想を上手に活用してまっせ。

 

で、何も問題ないし、その予想は、「便利やね」「良い科学技術だね」っていうことになっているし、

 

ソフトバンクのAI来客予想ソフトも、そういう位置づけで、何も問題はない。

 

っていう形を、トータルデザインで、やれば、

 

「AIって、便利やね」「安全だね」って、なるやん。

 

これが解です。

 

この日記を、安野さん本人が読んで欲しいんですけど、

 

本人が読まないかもしれないので、安野さんの知人の方、安野さんと連絡が取れる方は、

 

もしこの日記を読んで、「あぁ、そりゃそうだな」って思った方は、

 

安野さんに伝達お願いします。

 

この説明で、安野さんが、どういうリアクションをするのか興味あるんですよね。

 

これで、なんというか、「この人、何言ってるのか理解できません」とかいう反応だったら、

 

私も、ちょっと研究肌がある人間ですので、

 

けっこうサンプルとして、すごい素材だなと思います。

 

これは趣味の話ですが。

 

安野さんが、正しく軌道修正してくれればいいんですけど。

 

っていうか、誰か近くにいる人、進言してあげてよ。

 

本人に言うだけなら、そんなにリスクもないでしょ。

 

おわり

【徒然日記】ヤンキーに見る、動物本能のすごさ

ネットを見ていると、面白い記事があって、

 

「ヤンキーに絡まれたときの対処法」みたいなことが書いてありました。

 

で、私自身、ヤンキーの友達もいないし、なにか取引関係もできれば持ちたくないなぁと思っている人間です。

 

率直に、トラブルを避けたいからです。

 

で、記事には、「ヤンキーから『何、ガンくれてんだ?ケンカなら買うぞ?』」って、からまれたシチュエーションで、

 

まともな一般人である、その事例の主人公は・・・

 

冷静に、「友達と会うために来ているので、そんな不快なことをするわけないでしょう」みたいに言ったら、

 

ヤンキーが「オレの勘違いだった」って、引き下がったらしいです。

 

で、記事には続きがあって、

 

主人公は、「難は逃れたが、思い返してみると、本来なら、自分の力で対応しようとせずに、警察にアクセスするのが正しい判断だったな」という後悔をしたとのことで、

 

この記事は締めくくられています。

 

ーーーーー

 

で、ばくぜんと、「簡単に見知らぬ他人にケンカをふっかけるような、ヤンキーは、怖いな」っていう、不安と恐怖はあると思います。

 

私も実は、(私は他人とケンカしたことないし)、ヤンキーの人って怖いなって思っています。

 

だから、容易に、彼らと目を合わせないように、下を向いたりして、フツーに通り過ぎたりします。

 

でも、実は、私はヤンキーの人たちを、あんまり怖い人だとは思っていません。

 

「ヤンキーの人と、ケンカになったら、弱いぷにぷにの私は、負ける可能性の方が高いから、怖いな」とは思いますが、

 

「ヤンキー属性の人そのものは、別に怖くないな。(そもそも相手のこと良く知らないし)」

 

っていうことです。

 

で、「なぜ、ヤンキーは目が合うと、キレるのか」っていうところを解説しておくと、

 

多分、良く知らない人は、

 

「ヤンキーの人が、イライラしていて、こっちを見てムカついたから、攻撃してくるんだ」

 

って思うと思います。

 

もっというと、「向こう目線で、こちらの態度に、何かしらの非があったから、その制裁のためにケンカを売ってくるんだ」とかですね。

 

でも、実際は、ちょっと違うんです。

 

「あなたに問題がある(とヤンキーが判断したから)」、来るわけじゃなくて、

 

「目が合った瞬間に」「ヤンキーの人たちは、戦闘モードを開放する」から、

 

つまり、「相手がどうあれ」「目が合ったら、必然的に、戦争が始まる」っていうカラクリです。

 

だから、これは「動物的本能」なんです。

 

野生のクマと、目が合ったら、向こうがこっちをロックオンするのと、ほぼ同じことです。

 

で、私がなぜ、ヤンキーの人を人間として「忌避」していないかというと、

 

私も、動物的本能があり、それを軽く見ていないからです。

 

そのため、より正確に言うと、

 

「ヤンキーの人への人物評価については」

 

「人それぞれ、個性があり、異なるので、ケースバイケースになり、一概には言えない」

 

ただ、ヤンキーの人たちは、概して、動物的本能を尊重している場合が一般的だから、

 

私も動物的本能を大事にしているし(私って、女好きのスケベですし)、

 

ヤンキーの人も、同じ人間として、大きな括りでは、同居人みたいな仲間意識があるということです。

 

で、文明が発達し、ルールを重んじ、非暴力の価値観が重要視されている、

 

比較的治安も良い(元)先進国である、日本人ならば、

 

「赤の他人にいきなりケンカを売る」とか、法律に触れたり、相手の心情や肉体に被害をもたらす行為は、「人として」あってはならない。

 

みたいな考えの人が、マジョリティでしょう。

 

誰だって、殴られたくないし、その暴力が、もし我が子に向いたら、とんでもないことだと思うことも、まぁ自然な感情です。

 

ただし、事実として、「文明人も、動物」だと私は思っています。

 

「動物なんて、低俗な生き物だ」というのは、「現代人の一人称視点での、文明マウント」であって、

 

そういう考えを持つのは自由ですが、実際は、事実とは異なります。

 

どう考えても、「人間は、動物」です。

 

ただし、「脳が、あほなくらい、肥大している」という、

 

ある意味、「奇形種の動物」です。バランスが悪いという意味での「奇形」です。

 

こういう表現をすると、多分、一般的には「我々の尊厳をディスっている」と批判されると思いますが、

 

フラットに考えて、「脳みそ、でかすぎませんか?」。

 

「やりすぎ」に見えます。そこまで、大きくせんでもいいんじゃない?って私は思います。

 

思いつつ、この肥大化した脳を、「ちゃんと使いこなさなきゃまずい」という意識で、

 

「論理的思考」とかを、死ぬほどがんばって、突き詰めたという、

 

「奇形種動物枠内での、その中での奇行をしている、変な人」です。

 

変な存在の中での、変な人って、

 

コインの「裏の裏は表」みたいに、くるくる回って、「普通の人」になるという。

 

面白いですね~。

 

だから、「普通っぽく見える人」って、実際に話しても、「あぁ、普通の人だな」って思ったら、

 

社会でも、「この人、まともな人だな」って思われるんですけど、

 

その中身の構造を見ると、「実は、狂気を狂気のまま、内包している」ということが、けっこうあります。

 

これだから、「人を見る」のは、面白いんです。

 

表では、見えない「やばさ」が、ありえるからです。

 

ただ、「内面に、やばい狂気を内包していた、とて」

 

「行動ベースで、真面目に働いたり、法を守っていれば」

 

社会の中での客観的な評価としては、まごうことなき、「普通の一般人」ですから、

 

それで、「何も支障はない」のです。はっはっはっ。

 

で、基本的なことを言っておくと、

 

「その人の内面」っていうのは、「その人が担当のマター」ですので、

 

「その当人に、任せておけばいい」んですよ。

 

だから、外界への影響力行使の枠組みである、「行動ベース」で、

 

「その人を社会的・客観的な物差しを当てて、犯罪者/法令順守者の区別なりをすればいいだけ」です。

 

その枠組みで、「社会は何一つ問題なく、回ります」。

 

ここで、「私の内面を、あなたたちが解決しなければならない!そうでなければ敵だ!」とかプッシュして、

 

「実際に破壊工作とかやりだすと」

 

それはもう「自他の境界線があやふやになってきて」、

 

「社会の前提が、溶けて崩壊する」作用を持つので、

 

「やめようや」っていう発想を私はするということです。

 

で、大体そういう人も、「自分のお財布の中の金は、自分のもの」とか言って、

 

ちゃっかり、「自分は自分、他人は他人」というような明確な線引きをしているので、

 

まぁ、「欺瞞」があるなって、すぐにわかります。

 

自他の区別が本当に融解して、シームレスの認知をしている人は、

 

「自分の資産」とか、「私の恋人」とか、

 

そういう認知も不能になるはずですので、「行動レベルで、明らかに狂ってくる」はずなんですよ。

 

自分のご飯を、赤の他人の口のなかに突っ込んで、「あぁ、美味しい」とかゆったりですね。

 

それをするなら、本物ですが、

 

そうじゃないのであれば、「じゃあ、あんた、嘘ついて、自己都合に基づいて、破壊行為を推し進めているね」っていうのがすぐわかります。

 

こういう人は、秩序ではなく、混沌を信仰する、制御対象として私は見ています。

 

実際には、制御不能なことが、現実世界では、まま、ありますが。

 

だから、「トランプさんとか、自己制御なんとかがんばってよ」と、かすかに期待し、そして裏切られ続ける、というような現象が実際に起こるということです。

 

それもまた、ありのまま、そうあるのみ、の世界が地上の世界であると思っています。

 

ーーーーー

 

で、「動物なんて、下卑た生き物だ!」っていうひとに言いたいことがあるんですが、

 

動物って、「プランクトン」あるいは「細菌」とか、から始まって、

 

もう、億年単位で、死体を積み上げながら、「生を繋いできた」わけです。

 

私は自分が「動物であり、同時に、人間社会で生きる文明人である」と思っていますから、

 

この動物生の、歴史って、尊重しています。

 

これを軽視するのであれば、

 

「じゃあ、あなたは、これから、億年単位で、地上で生き残ること、できるんすか?」って聞いてみたいです。

 

「おまえ、やれんのかよ?」っていう問いですね。

 

「おぉ、やれるよ!」あるいは「やってやんよ!」であるならば、

 

その主張を、認めますが、

 

「上司から、ハラスメント受けたから、もうやる気ないぽ」とか、

 

「政治家が、極悪人だから、もうこの国は終わりだ」とかゆってて、

 

億年単位で、生き続けれらるんですかね~?

 

「その程度で?」

 

私が答えると、「私には、能力的にできません」という答えになります。

 

私、結婚もしていないし、子供も持つ予定もないですしね。

 

ただし、「生き残る可能性がある人材」を、命を賭して、支援することはできます。

 

負けて、犠牲となり、死んでも、それは必ずしも敗北とは限らないということです。

 

それが地上の動物生です。

 

動物として、諸先輩方を見習い、できる範囲で、それをやっています。

 

絶妙なバランスを取りながら、です。

 

あなたは、この動物生に、どうやって勝利しますか?

 

皆殺しにしても、あなたが億年単位で、地上で生きる見込みはありますか?

 

あなたは、勝てますかね?

 

さあ、この問いをどうしようか~?

 

よかったら、考えてみてください。

 

おわり

 

 

【徒然日記】キャバクラの正しい楽しみ方をChatGPTに聞いてみた

タイトルですでにちょっと面白いですけど、

 

私は、キャバクラって行ったことないんですよね。

 

風俗店に、行ったことがありません。

 

スナックは、派遣先会社のフットサルサークルに一時いたときに、年が近い先輩たちと入店したことが1回だけあり、TPOをわきまえて虎舞竜の「ロード」を歌った記憶があります。

 

なんでもないようなことが~しあわせだったとおもおう~♬

 

そもそもスナックは、風俗店なのか?それも知らないくらいです。

 

あと、酒に、けっこう弱いので、会社とかの飲み会自体、終わったら割とヘロヘロになるので、キャバクラで酒を飲むというのが体力的にもハードという印象があります。

 

あと、個人的すぎてどうでもいいことですけど、

 

嬢の方々って、基本的に「キレイ系」志向じゃないですか。

 

セクシーさもあるけど、上品な、軽めのファッション的なセクシーみたいな。

 

私は、全般的に、「キレイ系お姉さん」とか「ギャル」の娘って、「お人形さん的な美しさ」を感じて、ふつうに「キレイな人だなー」とは本心からよく思うんですけど、

 

なぜか、そこにエロさってあんまり感じないんですよね。

 

で、本人たちも、別に「特に異性にアピールするために」メイク・ファッションを洗練させているわけじゃなくて「美しい私でありたい」っていう、

 

「自分を高める」ために、キレイになっている人が多いと思うので、

 

「社会人として、最低限の清潔感をなんとか・・・」っていうファッションレベルの私からすると、「価値観が違いすぎて」、ちょっと「遠い存在」に思えてしまうから、どう関わっていいのか、よくわからなくて戸惑います。

 

職場でも、少し後輩に、「キレイ系の、まぁ、誰が見ても、美人の年下の娘」が、新しく入ってきて、

 

同じグループで、もう一人、別の新入りのぽっちゃりな女の子がいたので、クリスマスの日に職場で、年上先輩としての労いサービスで、近場で簡易なホールケーキ買ってきて、みんなで食べたり、グループ内で比較的仲良くしていたんですが、

 

その娘と、付き合いたいとか、エッチしたいとか、あまり思わなかったですね。

 

なんというか、「このくらい、キレイで、美人の娘だったら、自分じゃなくて、もっとイケメンで、オシャレな男性とカップルになった方が、釣り合ってマッチするだろうな」って思っちゃって、自分は引いちゃうっていう。

 

この辺は、どういう心理なのか、自分でもよくわかりません。

 

多分、「この娘を、十分に満たせる力が、自分には無い」って、確信しているんだと思います。ハードルが、高すぎて、そもそもやる気さえ出ないっていう感じですね。

 

で、私にとって「キャバクラで酒を飲む」っていうのは、

 

例えるなら「自宅で、ファッション雑誌のモデルさんを『キレイな娘やな~』と鑑賞しながら、酒を飲む」みたいなのと、近いんですよね。

 

そこに、会話の妙とか、呼吸とか、リアルな要素が入ってくるのが、キャバクラって印象です。

 

それと比較したら、「ちょっとセクシーで親近感を感じる娘と、普通にどこか行ってデートして、イチャイチャする」方が、いいなぁ~と思う派です。

 

っていうことで、ChatGPTに質問してみました。

 

ーーーーー

(結果)

1. 「会話・承認・非日常」を楽しむ場という理解

多くの利用者は、

  • 普段より丁寧に話を聞いてもらえる
  • 盛り上げてもらえる
  • 自尊心を満たせる
  • 華やかな空間にいる感覚

を楽しみに行きます。

 

2. 店・キャストとの距離感を守る

  • 「接客として楽しむ」
  • 「お互い仕事と理解する」
  • 「その場の時間を楽しむ」

という距離感だと、比較的健全に遊びやすいです。

 

3. 金銭感覚を崩さない

キャバクラは、

  • 延長
  • 指名
  • シャンパン
  • ボトル
  • 同伴

などで料金が積み上がる業態です。

 

4. 社会的には「接待文化」の側面もある

日本では historically に、

  • 取引先接待
  • 会社の付き合い
  • 夜の社交

の文脈でも使われてきました。

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なるほど~。

 

つまり、基本的に「接客」とか、十分にスキルがある社会人とか、

 

そういう、私にとって、「上級者」の人たちが、

 

日頃、駆け引きとか、気の抜けないプレッシャーのある攻防で、疲れた男性たちが、

 

一時の非日常と、癒しを求めて、

 

楽しく、軽妙に、テニスコートでボールを打ち合って楽しむっていう場なんですね。

 

だから、そもそも、キャバクラって「疑似恋愛」の場でさえないんだ。

 

キャバクラのキャストとお客間に出る「恋愛の雰囲気」も、ひとつの引出しにすぎないってことなんですね。

 

レベル高いな~。

 

私、全然、対面ではしゃべれないんですよ。

 

相手に合わせて、表情とか、間とか、コントロールする訓練を全然積んできてないですから。

 

印象で、人を見ていないっていうのもあります。

 

でも、職場が同じで、毎日、数時間ずうっと仕事上のやり取りしてると、

 

自然に、仕事以外の話とかも、一部あったりするじゃないですか。

 

それで、お互いに、「こういう人なんだな」ってわかってきて、親近感が湧いて、

 

普通にしゃべったりはできるんですけど。

 

で、好きになった相手に、すでに彼氏がいたりして。

 

悶々とする経験が、よくあります。

 

そういう素朴な庶民感覚の下心をRUNしている私が、

 

キャバクラに行くって、リアリティがないなと思います。

 

で、世の中の、社会人としてスキルが高い男性の中には、

 

「キャバクラに行っても、何が楽しいか、わからない」っていう人もけっこういますよね。

 

多分、そういう人って、

 

「仕事で、駆け引きとか、部下の支配とかを注意深くやるとか」、多分やってなくて、

 

フツーに、素朴に、職場の人と接している所があるんだと思います。

 

つまり、人とのコミュニケーションで、ある程度、日常的に癒されている人。

 

だから、キャバクラを楽しめるかどうかって、

 

立っている戦場によって、変わってくるんだと思います。

 

多分、キャバクラで楽しめる人は、ある意味、「駆け引き・だましあい」とか、それに勝ったとしても感じる「虚しさ」っていうのに晒されて、

 

「心の潤いが足りていない」っていう、そういうニーズがある人なんだと思います。

 

私からしたら、そういう場で戦っている人は、「上級者」ですね。

 

私は、素朴に、「親密→イチャイチャ→エッチ」っていう、普通の人付き合いの延長での、ラブラブで十分満足です。

 

今、全く彼女と逢えないから、ちょっとした遠距離恋愛状態です。

 

い~ま~あ~い~たい~あな~たに~♬(←ミーシャ)

 

っていうか、

 

ChatGPTが、絶対に行ったことがないであろう、キャバクラについて語っているのがシュールだなと思いました。

 

どういう気持ちで、それを出力しとるんや!

 

おわり

【徒然日記】くだらない系の本当の日記

日記です。

 

私は、コーヒーのハンドドリップを趣味にしているんですが、

 

「みるっこ」という昭和の名器と言われるコーヒーミル(豆を挽く機械)も買ったし、

 

ドリッパーも、全部安価なプラッチック製ですが、3種類(カリタ102、V60、オリガミ)を、コーヒー豆に応じて、使い分けています。

 

けっこう、お金がかかるんですが、嗜好品として、そして探求の趣味活動としてハイパフォーマンスなので、継続しています。

 

で、「コーヒー好き」とは言っても、

 

厳選された高い豆である「スペシャルティ」はめったに飲みませんし、

 

色んな町にある、カフェや、兼コーヒーロースター(焙煎所)の、1杯600円以上するような店のコーヒーを飲むほど、そもそもオシャレな人間ではありません(笑)

 

姉と、新規発見したカフェとかに、ごくたまに、行ってみたりするくらいです。

 

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で、ここからとてもくだらない話をしますが、

 

私は「コーヒーが好き、コーヒーが趣味です」とかゆっておいて、

 

飲み方が、「カフェオレ」なんですよね。

 

めっちゃ、牛乳で割ります。

 

例えば私が好きな「キリマンジャロ」っていう豆は、タンザニアが産地の有名な銘柄なんですが、

 

その特徴は、苦さというよりも、酸味と風味が特徴で、

 

その特徴を活かすために、「浅煎り」・・・あんまり火を通さない焙煎の程度で、店で売られているケースが多いです。

 

私は、こういう酸味・風味系のコーヒーを淹れて、130mlくらいマグカップに注いで、

 

そこに牛乳を200ml以上入れて、カフェオレにして飲むと、めっちゃ美味しいので大好きです。

 

ブラックで飲むより、コーヒーの消費量が少なくて済むのも、ちょっと安上がりですし。

 

そもそも、あんまり刺激の強い飲み物が苦手なので、ブラックの味は別に嫌じゃなく普通に飲めますが、「身体にやさしい」点で、家ではカフェオレばっかり飲んでいます。

 

※ちなみに、一番好きな豆は「モカ」系で、これはコーヒーの起源であるエチオピアの有名な銘柄です。

 

さあ、こっから、くだらない話が始まりますよ!

 

で、カフェオレに、私は甘味料を足します。

 

ただし、「砂糖」は、カロリーが多すぎて、デブデブになるし、不健康なので、

 

代わりに、健康甘味料である、「オリゴ糖(液体)」を入れています。

 

具体的な商品名としては、「オリゴのおかげ」です。

 

この商品は、けっこうどこのスーパーでも、おそらくあると思いますが、

 

メーカーの会社を調べてみると、面白くて、

 

「塩水港精糖株式会社」さんです。

 

「塩水港(えんすいこう)?」って、ちょっと聞きなれない言葉の音で、「なんじゃらほい?」ってちょっと調べてみると、

 

この会社は、日本の上場企業ですが、ルーツは「台湾」にあるようで、けっこう歴史もある会社のようです。

 

で、この会社さんの主力商品が「オリゴのおかげ」であり、

 

もっというと、この会社は、この商品一本でやっています。

 

「オリゴのおかげ」一本足打法です。

 

なんかすごい商売だな、と思いますが、台湾をルーツに持つ企業ということで、

 

「ザ・しがらみ」もあるでしょうし、とにかく、

 

「いつも良い商品を作っていただき、ありがとうございます」という思いでいます。

 

オリゴ糖というジャンルでは、もちろん大手精糖会社もそれぞれ商品を出しているんですが、

 

私目線での「オリゴのおかげ」の長所は2つあって・・・

 

「1本当たりの量が、いっぱい入っている」ことと、

 

「コーヒーに入れたとき、沈殿せずに、溶けやすい」ことがあります。

 

他の商品はおおむね、「そうではない」ってことですね。

 

で、ただし、「オリゴのおかげ」という商品にはちょっと怖い面もあって、

 

ボトル型の商品にラベルが貼ってあって、そこに「オリゴのおかげ」って書いてあるので、

 

これを使うとき、「オリゴのおかげ」っていうフレーズが必ず頭に入ってくるんですね。

 

で、毎日、「オリゴのおかげ」、「オリゴのおかげ」って目に入ってくると、

 

この言葉が、何か「呪いの言葉」のように、「なんか迫ってくる」んですよ。

 

「この違和感、怖さって何だ?」ってよく考えてみた時に、

 

「オリゴのおかげです」っていう意味の言葉って、

 

「私が発している言葉じゃないな」って気づいたんです。

 

こういうシチュエーションと似ているんですが、

 

子供が、母親に叱られているときに、

 

母親「私は、あなたのためを思って、こうやって躾けてきたのよ。あなたが今、生きていけるのは誰のおかげだと思う?言って見なさい」

 

子供「え・・・あ・・・」

 

母親「『お母さんのおかげ』でしょ?」

 

子供「う・・・うん」

 

母親「ほら、言って見なさい、『お母さんのおかげです』って!」

 

子供「お母さんの・・・おかげです・・・」

 

母親「そう、すべて、お母さんのおかげなの!それを忘れちゃだめよ、いいわね?」

 

子供「はい・・・」

 

っていう。

 

※ちなみに、私の実母は、こういう洗脳系ではなく、圧倒的なパワーをぶっぱなす系なので、これは実体験に基づくイメージではありません。(その方が怖いんだけど)

 

なので、私はそれに気づいたとき、こう憤ったんです。

 

「オリゴのおかげ」だって?それはお客が自発的に思うことであって、メーカー側が言うことじゃないだろ!

 

っていう風に。

 

ただ、すぐに、これは誤った解釈であると気づき、反省しました。

 

正しい解釈としては、

 

「オリゴのおかげ」の「オリゴ」とは、「その商品」を指しているのではなく、

 

「一般的な意味で、オリゴ糖という自然資源そのもの」を指していると解釈すると、「なるほど!」と腑に落ちます。

 

つまり、「オリゴのおかげです」と言っているのは、

 

メーカーである、「塩水港精糖株式会社」さん当人であり、

 

「オリゴ糖という自然資源のおかげで、わが社は存続できています」

 

「オリゴ糖に、いつも、感謝しながら、企業活動を行っています」

 

っていう意味なんだな!と気づきました。

 

そして、同時に、「できれば、消費者である、お客様も、オリゴ糖のファンになっていただきたい」

 

という気持ちを込めて、オリゴ糖そのものを盛り立てるために、

 

商品名に、「オリゴのおかげ」という象徴的な意味を持たせているんだ!と思いました。

 

これは「呪いの言葉」などではなく、「自然由来の資源に対する、感謝の気持ち」を表す、スローガンであるということです。

 

いい話だな~。

 

ただし、そこから、さらに深堀していくと、

 

これって、本質的には、「自然信仰だな」って理解もできます。

 

台湾ではどうだかよく知りませんが、

 

日本では、「自然そのものが神である」という信仰を持っている地域は少なくありません。

 

その背景には、「自然の気分次第で、農作物の仕上がりが、大きく左右されて」「農村の民にとって、クリティカルな問題にもなっていた」という側面があると思います。

 

だから、日本の人々は自然を畏れ、その怒りを買わないように、

 

「自然は、尊ぶべき、神である」という信仰が土着していったという文化が各所で見られるのだと思います。

 

※私は日本文化の専門家ではないので、天照大神(アマテラスオオミカミ)との関係は良く知りませんので、機会があれば、神学の専門家の方の解説を知りたいところです。

 

多分、「日本国」の神の始祖は天照大神で、地方ごとのローカルの信仰対象が、例えば「大きい岩」だったりするのだと想像します。

 

で、私はこう思ったんです。

 

オリゴ糖への信仰があるという趣旨であるならば、もっとわかりやすい商品名に変えた方がいいのではないだろうか?と。

 

例えばこう!

 

「オリゴのおかげ」から、「オリゴ神のおかげ」に変えてみる。

 

これなら、オリゴへの信仰であることが、わかりやすいですよね。

 

で、もっとスピリチュアルな雰囲気を出すのであれば、

 

例えばこう!

 

「オリゴ神のお導き」という商品名にすれば、かなり良い!

 

コーヒー淹れて、牛乳入れて、カフェオレにして、

 

おもむろに、ボトルを手に取ると、このフレーズが頭に入ってくる日常・・・

 

「オリゴ神のお導き」

 

ありがてぇ・・・。とってもありがてぇ・・・。

 

みなさんも、想像してみてください。

 

スーパーの一角、オリゴ糖コーナーを見やると、そこにひとつの商品がある・・・

 

商品名は「オリゴ神のお導き」。

 

それを手に取って、かごに入れるあなた。自然に掌を合わせ、一礼していることでしょう。

 

周りのお客さんは、その光景を見て、こう思うんです。

 

(えっなに?「オリゴ神のお導き」って?)

 

(宗教関係?あやしくない?)

 

(あの人は、信者の人かしら?)

 

(スーパーの棚に、普通にこれあるのビビるんですけど・・・)

 

(怖いが一周回って、逆に惹き付けられるわね・・・)

 

私だったら買いますね。ただ、もう後戻りはできないかもしれません・・・。

 

あなたにオリゴ神のご加護があらんことを。

 

オリゴー オリゴー ぬーーー ハイッ

 

ハァ~~~~♬

 

我ながら、くだらない日記書いてるなぁ。

 

おわり

【徒然日記】学歴社会くん

ヤフーニュースで、学歴について、いろいろなトピック(ネタ)がシンクロニシティ的に(直接の関連なく同時多発的に)、記事が出ていました。

 

で、「学歴偏重価値観が社会にまん延していて、差別的なことが起こっていること」に対する批判っていうのは、昭和の時代からある伝統芸で、

 

お隣韓国では、日本以上に苛烈な受験競争とか、あったようです。

 

で、そもそも日本の話をすると、

 

日本はこれから経済成長するぞ!って時に、やっぱり、「優秀な人材を、強い資本系の大企業に集めて、ガンガン行く」っていう、

 

比較的、合理的な方法論が、国策としてGOしていたんですね。

 

だから、大学は「学問をやるところ」という側面も基本的にあるんですけど、

 

同時に、「有力大企業に、優秀な練度の高い、ムキムキな兵隊を確実に送り込むための人材育成機関」として、半ば以上公然的に、大学は営業していたんですよ。

 

だから、旧帝大の国立大学の、理系の教授とかは、

 

「オレが、学生を厳しく鍛えて、ちゃんとした人材を大企業に送り込む使命と職責を負っている」という認識で、

 

「国益のために」、ビシバシ教育していたのは事実のようです。

 

だから、旧帝大は、信用があり、ブランド力があるのです。

 

実際、そのプロジェクトは一定成功しましたし(日本は発展途上国から、世界第2位の経済大国になりました)、

 

それは「国策」でもあったので、まぁ、最近で言うと、「原子力発電政策」みたいなものです。(これは津波で、頭をはたかれましたが)

 

国が、本気で、リソースを投下し、「学」が本気でタッグを組んだというようなプロジェクトです。

 

っていう昭和時代の成功体験(と確信しやすいような実績)が、実際にあったので、

 

「やっぱり、旧帝大はパネェな」「やっぱり、高学歴って強ぇな」っていうのは、ある意味、自然だと思います。

 

ただし、そこから、日本はバブル崩壊という狂った祭りを経て、ジリジリ貧になり、デフレ不況地獄を長年味わって、今はコストプッシュインフレ茹でガエル状態ですよね。

 

っていう、「時代が変わった」っていうのがあるので、

 

「過去の成功体験が、今は、通用するとは限らないね」っていうのは、もはやみんなの共通見解でしょう。

 

ただ、高校生くらいの子供を持つ親が所属している組織も、「会社」とか「ママ友」とか、比較的「狭い」ので、

 

そういう「人間関係がモノを言うようなコミュニティ」において、

 

「うちの子は、高学歴ざますよ!」って、非常にわかりやすいし、

 

逆に、「じゃあ、どういう手段で、その狭いコミュニティで、優位に立とうか?」って考えた時に、

 

「高学歴を追求する」っていうのが、子供が学生の時点では、「それ以外他にない」から、それやってるっていう。わかりやすいし、っていうことだと思います。

 

例えば、「うちの子は、甲子園に出場して、優勝したんですよ。ポジションは、エースピッチャーと、4番バッターの二刀流で、複数のプロ球団から声がかかっているんですよ」

 

っていうなら、それも優位に立てる好ポイントになりますが、これは「レアケース」ですよね。

 

だから、「無難に、ローリスクに、わかりやすく、確実に、コミュニティ内で子供をネタにして優位に立とう」と思ったら、

 

「学歴」という「ポピュラーなレース場で」「成功したら、勝てるね」って、なるのはまぁ自然ですね。

 

世代共通だし、どんな人でも例えば「東大はすごい」とか、みんな知ってるし、

 

すごい認知度と、ファン層のすそ野が広い、競技大会として、

 

「受験勉強」って人気がたぶん、今でも一定あるんですよ。もう加熱度は、ピークアウトしていると思いますが。

 

しかも、その競争で、上位1%に入賞できれば、「年収1000万円越えの賞金」もほぼ確実にもらえますし。

 

「大衆向けの、人生をかけたプロ競技大会」ですね。

 

私も、それに参加していたのですが、

 

そういう熱い競争に熱中する「どころじゃない」問題を抱えていたので、

 

勉強ロードにおいては、中学受験では仕事として勝ちましたが、力尽き、ドロップアウトして、学歴は高卒です。

 

ちなみに、通った学校では、上位15%以上の子は、エリートと言われる子たちでしたが、

 

私は興味本位で、「どれどれ、どの程度の人たちなんだろう?」と軽く観察していたのですが、

 

まぁ、それほど狂ったような尖った才能を爆発させている子は、見当たりませんでしたね。

 

上位15%以上の子は、「めっちゃ勉強ができる、普通の子たち」で、

 

それ以下は、「人並み以上くらい、勉強が得意な、普通の子たち」でした。

 

もちろん、ひとりひとり、個性はあり、それなりにバラエティ豊かでしたが、

 

「こいつ、やべぇな」と背筋が凍るような、そういう畏怖を感じるような才を持った子は、残念ながら見当たりませんでした。期待はしていたんですが。

 

まぁ、世代によって、当たり外れありますから、他の世代ではいたかもしれません。

 

私の学力は、「下位30%くらい」で、入学当初から、なだらかな下降線を描き、

 

卒業時は、ほぼ「ラス」で、卒業するのに苦難しました。赤点が10教科くらいあったんですよ。

 

勉強してなかったですし、授業中に4コマ漫画とか描いていました。

 

学力はその程度で、数学は未だに2次関数くらいまでしかわかりません。

 

ドロップアウターですね。

 

ーーーーー

 

で、最後に、学歴社会の問題を言っておくと、

 

「高学歴者」が、実際に、イケイケなら、全然大丈夫なんですよ。

 

やばいのが、「高学歴者が」「へたってきたとき(いろいろな事由により、社会において結果が出せなくなった時)」、これがかなりやばい。

 

だって、「信用があり」「ブランド力がある」エリートが・・・へぼいじゃんってなったら、

 

みんなは「一体、何を信じればいいのか、わからなくなる」じゃないですか。

 

高コストの、革命が必要になってくる。

 

そして、そういった逆境において、「へたってきてるエリート」は、何をするかというと、

 

「学歴マウント」を取って、「オレはへぼくないんだ!」って確かめようとするんですよ。

 

イケイケなら、そんなこと、そもそも「する必要がない」じゃないですか。

 

でも、そうしないと精神が安定しないってことは、「へたっている」っていう兆候であることが、自明なんですね。

 

だから、「学歴マウント」がめっちゃ増えてきたとき、どう解釈すればいいかっていうと、

 

「こいつら、感じ悪いな!」っていうのは別に、

 

「あっこいつら、へたってきてんだな」=「日本社会全体が、やばい兆候が現れてきてるな」っていう「察し」ができると、

 

その「危機感」を持った、本当の意味での実力者が、

 

なんかしらの「革命」とか、まぁ、安定が価値を持つ日本社会で革命は実務上難しいので、

 

「高学歴者へのテコ入れ」→「そして自信を取り戻し、イケイケ路線を目指す」

 

みたいな、そういう支援ができる人がいると、バランスは回復できるかも。

 

それが「政治」ができればいいんですけど、

 

日本の政治家は、「官僚」を敵視していますので、支援なんてするわけないですよね。

 

で、民間企業も、基本、抑制を利かせるという政治体制を継続している。

 

国民も、エリートが過度に利己的に見えて、ちょっと心情的に、気に食わない。

 

結果、誰も、エリートをテコ入れ「しない」。

 

そういう私は、何をやっていただろうか。

 

必死で、生きていましたね。比較的、ボロボロで。

 

あと、仕事とかも、楽しんでましたね。苦しい中でも、楽しさがあった。

 

20代後半とかの、派遣社員時代とかは、

 

同年代の、同じ立場の同僚がいたので、好きな女の子ができたり、

 

なんか、大学行ってないけど、そこで大学サークルみたいなものを楽しんだりしていましたね。

 

カラオケ部とか作って、同僚の後輩とか、一緒にカラオケに通ってめちゃくちゃな歌い方をしたり。もう完全にサークル活動ですね。

 

今は、カラオケ行ったら、普通に無難に、素人っぽく歌いますが。

 

そういうんがあるんで、結論としては、

 

エリートも、人間で、ひとりひとり、個性があって、違うんで、

 

同じ人間として扱って、自信を持って、経済のために、回りまわって国のためになるような活躍をしてくれるような支援もやってもいいと思います。

 

おわり

【徒然日記】みんなのチャレンジのコーナー

「チャレンジせよ!」って会社の偉い人とか、

 

あるいは講演会で、有名な人がゆってたとして、

 

それを素朴に受け取ると、「う~ん、そうなのか~なるほどですね~」ってなって、

 

その後に、心の中で、(で、具体的に、どうすればええんや?)って思いますよね。

 

私もそう思います。

 

なので、レトリック的に、「チャレンジせよ」ってちょっと変で、

 

実際には、「やるべきことやってたら、それがチャレンジみたいなことになってた」っていうのがリアルな状態です。

 

やってる行動が、「尊いチャレンジ」だろうが、あるいは誰かから「はっ!バカなことゆってんなよ!」とかゆわれても、そんな「見栄え」なんてどうでもいいので、

 

やるべきことがやれたら、賞賛もお金の報酬も、自然に付いてくるんですよ。

 

だって、他の人があんまりやりたがらないで、ずうっとペンディング(保留)されて、放置されて、それが深刻な問題になっているんだから、

 

そこで結果出したら、まぁ全員とは限りませんが、「よくやってくれました」って褒めてくれるだろうし、会社からはボーナスとか昇給とか出るでしょう。

 

そこで褒めなきゃ、嘘になるからです。

 

それ褒めないのであれば、「じゃあ、会社の本社ビルを、とっとと破壊・解体して、あとは社員全員解雇して、無に帰しましょう」で済みますよね。

 

何もしないでいれば、自動的に壊れていきますから、「人は何もする必要はなくなります」。毎朝、出社もしなくても良くなります。作業もゼロでOKです。

 

生産されたものを破壊することは、非常にラクで、簡単なことです。

 

ただし、メシや住む場所とか安全もなくなって簡単に暴力で殺されたりするから、みんな困るでしょう、という文脈で、「生産的なことせなあかんな」ってなっているだけのことです。

 

ーーーーー

 

で、基本的なことを言った後に、話を戻すと、

 

「じゃあ、チャレンジみたいなことをするって、具体的にどんなの?」っていう所で、わかりやすいシミュレーション例を言います。

 

■みんなのチャレンジシミュレーション「崖を登ればいいじゃない」

 

<条件>

・あなたは片足をねん挫していて、歩くと痛くて、移動するのが困難です

・一緒にいるのは、夫あるいは妻1人で、こっちも怪我していてあなたと同条件です

・怪我した理由は、50mくらいの崖下に2人そろって滑落したからです

・ロケーションは、人があまりいない地域ですが、近くに民家があるかもしれません

・崖下は、森の中のようで、森はけっこう深そうで、地理を十分に把握できていません

 

<ミッション>

どうにかしてください

 

ーーーーー

っていう「チャレンジみたいなこと」ですね。

 

で、「チャレンジなんてできないよ~」「やったことないし~」っていう人の多くは、

 

「崖を50m人力で登って、元々いた場所に戻るなんて無理だよ~」とか、

 

「足が痛いから、無理だよ~」とか、

 

「地図がなくて、どっちに行けばいいのかわからなくて動けないよ~」とか、

 

「このチャレンジは、無理である」という命題を証明するために、すっごく「がんばる」わけです。

 

これは、弱いんですけど、悪いことではなく、「そういうこともあるんだ」と思って支障ありません。

 

なので、「そういうこともあるんだから、今、そうなってるんやな」と思って、受け入れて、

 

「チャレンジせずに」、「横にいる同じ境遇のパートナーと、おしゃべりしてちょっとでも不安を打ち消す」みたいなことをしても、大丈夫です。

 

ただ、それだと、多分高確率で、「死にます」。ということです。

 

それを許容しない、というのもまた、ありえることですし、

 

人は、みんな80歳になったら大体死ぬんだから、死んでも良いじゃんって達観することもありえる。

 

ただ、ここでは、「チャレンジみたいなことって何じゃらほい?」っていう「可能性」を示す趣旨なので、とりあえず、「なんとかして、生き残る」っていう前提で話します。

 

<具体的に何をするのがチャレンジっぽいことなのか>

 

で、私だったら、まず、状況を把握して、こう考えます。これはあくまで私流のやり方なので、唯一の正解ではないですが、「これがチャレンジっぽいことだよ」ということを示そうと思います。

 

①まず、成功条件を定義します

 

私の場合は、「多少怪我してでも、2人とも死なない」というのが成功条件です

 

②その条件を満たすための、あらゆるアプローチを全列挙する

 

「この方法じゃなきゃだめ」っていう縛りルールは今回はない設定なので、

 

「何やってもいい」ってことになります。

 

で、生還するために考えられるのは、

 

・崖をなんとかして登る

・誰かの救助を得る

・森の方に行ってみたら何かあるかも

 

っていうくらいが列挙できます。

 

で、ポイントは、「この時点で、チャレンジっぽいことは始まっています」。

 

こういう風に、成功条件を満たすためのアプローチをいろいろ考えている時点で、

 

それはもう、完全に「チャレンジしちゃってる状態」です。

 

周りの人は、「こいつ、始まってんな!」って思うと思います。いや、知らんけど。

 

で、別に、「私は、こういうアプローチを考えてみました!」とか、別に公表する必要もないんで、頭の中だけで黙ってやっても良いと思います。

 

わかるひとはその行動の価値がわかるけど、わからない人には価値が見えずに、賛同もしてくれないでしょうから。

 

で、結局、この状況でフツーに考えて、

 

「自力で、安全な場所まで移動する」って「無理」じゃないですか。

 

無理っていうか、やりたくないし。それで成功するなら、がんばってやるけど、まぁ、無理そうなので、「やらない」ですよ。「コストをペイできない」ってことですね。

 

となると、有力なのは、「誰かの救助を得る」っていう方針が決まります。

 

ポイントは、ここで、「大きな方針が定まっている」点です。

 

話が前に進んでいるでしょう?これは成果です。

 

ただ、戦術を限定しているということはすなわち、「可能性を狭めている」っていうことも意味するので、この時点で、「あなたはリスクを取っている状態」です。

 

これで、リスク取ってるんですよ!かっこいいですね~。

 

これは冗談ですが、で、原則「リスクは減らさないといけない」「ハイリスクは取ってはならない」っていうのを前の日記で書いたので、これは当たり前の話です。

 

で、「リスク減ってるかな~」って一応確認しておくと、

 

もうすでに完了しているんですね。

 

先ほど、「怪我してるし、自力で安全な場所に移動するのって、無理やな」って判断したでしょう。

 

だから、「その可能性については」「もともと、無視していい可能性(可能性がゼロに近い)」ってわかる。

 

だから、「あぁ、戦術絞って、可能性狭まったリスクあると思ったけど、実際には、可能性は狭まってないんだ!」ってわかって、

 

その時初めて、「あぁ、この戦術選択は、ローリスクなんだな」ってわかります。

 

※この辺の思考は、言語を用いないでやりますが、言語を用いて思考しても支障ありません(時間はかかりますが)

 

で、「誰かの救助を得る」っていう方針が決まったら、

 

「じゃあ、どうやってそれを達成するんじゃい?」ってなりますよね。

 

ここでポイントなのは、チャレンジの条件が示されたときは、

 

「崖下で、なんとか生き残る」っていうのが成功条件だったのが、

 

今の時点での成功条件が「崖下で、誰かの救助を得る」に、置換されていますよね。

 

これは数学の「X=Y」と表現される式と同じことをやっていて、

 

どんどん、「わかりにくいもの」をイコールで、「具体」に置換していくっていうことをやると、行動レベルに落とし込むことができるようになります。

 

これがゆわゆる、「論理的思考」というものの中身です。

 

逆にこれをやらないと、「なんとなく、よくわからないことを、テキトーにやる」ことしかできません。

 

それで十分なら困りませんが、やばいときは強い行動が必要なシーンも、まま、あります。

 

で、今の成功条件が「崖下で、誰かの救助を得る」っていう、ちょっとわかりやすい形になってきましたね。

 

また「じゃあ、どうすんじゃい?」ってなります。今のところ「わかりません」。

 

でも、「ある条件が揃えば」「できるんじゃね?」っていう実現可能性に気づきますよね。

 

例えば、イーロンマスクさんの会社の「スターリンク」を利用可能な、「携帯電話」があれば、即、解決じゃないですか。

 

「もしもし、119番ですか?ちょっと、助けてください。スンマセ~ン!テヘペロ」

 

で、「チャレンジ成功」ですよね。はい、終わり~パチパチパチ。

 

海外だったら119番ではないかもしれませんが、その辺はどうにでもなります。

 

で、現実は、そうそう都合よくいかないことが多いので、

 

「携帯電話は持ってるけど、充電切れてて、不通」だったとしたら。

 

あるある、ですよね。

 

で、結局、必要なことは何か?ってまた考えた時に、

 

「最悪、紙の手紙でも」いいわけじゃないですか。

 

紙に「HELP!」って書いて、それを紙ヒコーキにして、ぴゅーと飛ばして、

 

結果、「誰かが受け取って、伝達(伝わることが達すること)できれば」、

 

助けを得られる可能性は非常に大きいって、「読めます」よね。

 

つまり、「情報伝達が満たされれば」=「チャレンジ成功」になるわけです。

 

ここでも、論理的思考によって、成功条件が置換されましたね。

 

じゃあ、こっからが難しくて「そしたら、どうすればいいんじゃ?」ってなる。

 

う~ん。これは難しいですね。私も、これ書きながら、今考えてるんですよ。

 

「例えば、狼煙」とかはどうでしょうか?

 

近くに森があるので、足はねん挫していますが、木枝を集める程度なら、やればできるでしょう。

 

そして、ライターとか持っているなら、木枝を大量に燃やすことは、「できる見込みがある」。

 

ただ、問題は、

 

「狼煙が上がったのを遠くの誰かが見て」「それで、救助を求めているとその人が理解する」可能性っていうのが、けっこう怪しい。ここに大きな失敗リスクがあります。

 

たまたま運が良ければ、「ん?何であんなところで煙が上がっているんだ?様子を見てこよう」って思う人も、もしかしたらいるかもしれない。

 

ただ、可能性としては、薄い。周りに人がいるかどうかもわからないし。

 

っていうんで、ここで、どん詰まりましたよね。

 

成功条件は、比較的明確になったものの、それを実現する「手段がない」という状況です。

 

こういうときは、「押す」のではなく、「いったん、引いてみる」ことをしたりします。

 

「引く」とは、「視点を、この場所から、引いてみる」という意味です。

 

自分の視点カメラを引いて、全体を見てみると、

 

おや、崖の反対側は、森が広がっているじゃあーりませんか。

 

「こっちに可能性あるかも」って発想する。

 

ただし、森が深いので、中がどうなっているか「よくわからない」。

 

足は、怪我していて、こちらの移動能力もそもそも低い。軽々に、森の中に踏み入るのは、リスクがありますね。最悪、力尽きて森の中で動物のエサになるでしょう。

 

「えっじゃあ、どうしようか?」ってなります。難しいな~。

 

私だったら、「森をまるごと放火します」ね。

 

で、崖上とかに人がもし来たら、大声で、「火事だー!助けてくれー!」って言います。

 

これはね~放火してるんで、環境へのダメージが大きいんですよ。森の動物も死にますしね。

 

なので、助かる可能性は大きいですが、倫理上問題が大きいです。

 

ただ、時間制限もあるので(食料がないと飢えて死ぬ)、

 

そこまで大自然のど真ん中でなければ、森の広範囲を焼けば、

 

必ず人は来ると思います。消防隊の人とか、放水ヘリコプターとかですね。

 

で、ヘリコプターとか、上空見てれば、「どっち方向から来て、どっち方向に行ったか」っていうおおよその方角がわかる(地理状況がわかる)から、

 

助けが来なかったら、ヘリコプターが来た方角に、町やらがあるんだなってわかるんで、

 

あとは気合で、そっち方向に歩いていくっていうのが、いいかなと思います。

 

森が燃えまくってたら、できないかもしれませんが。

 

ーーーーー

 

っていう感じで、けっこう、私も愚策(放火犯やん)しか出なかったですが、

 

「チャレンジっぽいこと」って、何やってるのか、わかったと思います。

 

私も初めて、言語化してわかったのですが、要点は、

 

・成功条件の定義

・論理的思考による、成功条件の置換→具体化

・視点操作による、情報網羅

・リスクの低減(マスト)

・モラルを気にしない度胸

 

最後のひとつは冗談ですが、これが私がいつもやっているチャレンジっぽいことです。

 

ただ、実際にシミュレーションのケースになったら、多分私は本当に放火すると思います。助かった後に、方々に謝罪して、必要なら刑務所に入るつもりです。

 

スターリンクとつながってる携帯電話持ってれば、遭難系は、大体大丈夫ってこともわかりました。

 

あと先ほども言いましたが、これは「私流」なので、別に「これが唯一の正解」ではないです。

 

ただ、大体のチャレンジャーは、似たようなことをやっています。

 

あとは本人の腕次第ということです。

 

ここまで読んだあなたは、けっこうやる気があると思われます。

 

なにかしらやってみると、なにかしらが達成されることはありえます。

 

おわり

 

 

 

 

 

【徒然日記】ゼロイチをぶち上げるパイオニアの利用方法

けっこう実務寄りのコラム「ゼロイチをぶち上げるパイオニアの利用方法」です。

 

まず、アップルとかの急成長企業を創り上げた人は、

 

「すっごい人」であり、そこに「再現性」を求めるような動きも一部であります。

 

ただ、現実として、ゼロからイチを見出す奴っていうのは、

 

少なからず内面に「鬼」がいるので、誰でもできることではありません。

 

その根拠は2点あって、

 

ひとつは、鬼をクリエイトするために多大なリソース資源が必要であるという資金繰りの点があること。

 

もうひとつは、その鬼を自力で制御しないと、逆に自分がそれに喰われて死ぬという点。

 

この2点を、満たせる見込みがあるのであれば、その人はパイオニアになる資質があります。

 

いやでも、・・・そもそも、そんな苦労や業を背負いたいですか?

 

本当は、「ラクして、お手軽にハッピーになりたいだけ」の人も少なくないでしょう。

 

つまり、ゼロイチをぶち上げる営みは、「素人はやめとけよ」っていう話になってくる。

 

だから、多くの人たちはどうすべきかというと、

 

そういったちょっとネジの飛んでるいかれたパイオニアを、

 

「上手に、利用すれば」いいんです。

 

で、実際にアップルのジョブズさんというジーパンばっかり履いてる野郎は、

 

部下に対して、「オレのようにしろ!それじゃ足りねえんだよバカヤロウ!」ってかなり強めにスパルタでやってましたよね。

 

で、もし私がアップルの社員だったら、

 

こう言うんですよ。「それじゃ組織が長く回らねぇんだよボゲが!てめぇはアイディアだけ出して、あとは俺たちに委ねろボンクラが!」

 

って言うんですよ。

 

これは「ケンカしろ」って意味じゃないですよ。

 

ジョブズ氏に対して、「お前は、俺たちに利用されて初めて、活きるんだよ。それを理解しろ。俺たちフツーの人たちを殺したら、お前も価値を失い、ガラクタになるぞ!」

 

って、軌道修正させるために、ケンカも辞さないという意味です。

 

「じゃあ、そういえばいいじゃん」という話でもあります。

 

っていうんがあるんで、結局、「役割分担」・・・

 

これを正確に言うと、仲良くお手手を繋いだ「連携」ではなく、たまたま歯車がかみ合うこともあるかもしれないし、ないかもしれないような「機能分散」が、あると、面白くなるということです。

 

つまり、ゼロイチのぶち上げに再現性なんて必要ないです。

 

それをしなくていいのであれば、むしろやらない方が良い。

 

でも、パイオニアの鬼たちの目には「そうせざるを得ないから、やっている」だけなので、

 

その辺の事情を見ても、基本的にアンタッチャブルなんですよ。ミスったら命を落とす可能性も織り込んでやることなので。

 

っていうんがあるんで、

 

パイオニアを利用する立場のマジョリティの人たちは、

 

いかにして、「示された道を、実際に歩いて、道を道として整備するか?」

 

つまり、どのような道路設計で、「将来の人たちにとって、便利な道をクリエイトするか?」

 

っていう仕事に集中した方がいいです。

 

言い換えると、アップルで言うと、「いかにして、アップルの商売を継続して、雇用を生み、経済に良い影響をコンスタントに与え続けられるか?」

 

というマターに全振りした方が良いです。

 

もちろん、これは「ポスト・ジョブズ」の経営陣の仕事で、一般社員の仕事ではありません。

 

ただ、一般社員、あるいは、非正規社員、バイトであっても、

 

「この会社は、いったい、何をしようとしているのか?どういった価値を生み続ける意思があるのか?」

 

ていう所を、「知りたい。そして、知ったうえで、業務に当たりたい」という姿勢を持つと、

 

自然に、仕事の精度は上がってきます。

 

もしアップルが寛容であるならば、

 

「単に、生活の中で良い食事取ったり、モテたりして娯楽を増やしたいから、消極的に仕事して給料もらってますねん」

 

っていう人でも、許されるかもしれない。

 

ただ、それを許せるかどうかっていうのは、

 

「アップル社全体の色んな側面での底力」にかかってくるので、

 

やっぱり、会社の中の、どの立場の人間であっても、

 

「会社のために、オレなりに、なにかしらをやったるで」という所がないと、じり貧路線になり、

 

「ほとんど許容してくれない、厳しい」ような環境に行ってしまう結果になるでしょうね。

 

っていうことで、パイオニアを、上手く利用しましょうという話でした。

 

パイオニアを装った偽物については、投資を絞って、枯らせましょう。

 

偽物は、そこで必ず、容易にあきらめたり、態度をコロっと変えます。

 

本物は、そんなことでもおかまいなしに、死ぬ気で走り続けます。

 

だから、基本的に、パイオニアは甘やかさない方がいいんですよ。

 

これも、物事の一側面でしかないですが、

 

片方の確からしさであると思っています。

 

おわり