【趣味日記】日本経済

ヤフーニュースを見ていると、円が弱くなって、過度なインフレになって、経済がやばい、挽回の見通しもない、

 

ということで、「日本はもうだめだ」という悲観論が大きいようです。

 

個人的には、日本はだめじゃないけど(挽回しようと思えばどうにでもなるけど)、

 

今までやってきたことを、本気で肯定しているから、大きな経済的落ち込みは、あるだろうなと思います。

 

世論では、長年続いてきた政治の無策・怠慢・サボりが悪い、となっていますが、

 

実態は、挙国体制での、サボりがあり、それを未だ継続している、といった見方が正確かなと思います。

 

現時点で、生産性を上げなくてはいけない(AI技術を使ってでもいいから生産性を上げないと膨大な社会保障費をまかなえない)のは明らかなのに、

 

そっち方向に行かないですよね。中小企業も。

 

日本の中小企業は、大企業の傘下で、「低い立場で無理を押しつけられている」ケースが多いのですけど、それでも「安定した売上げが立つから」と言った理由で、

 

その弱い立場を受け入れているケースが多いです。

 

「私の会社はあなた(大企業)の便利な駒になりますから、その代わりに、安定した利益をちょうだいね」という取引をしているし、おそらく現時点でさえも、それを肯定している経営者は多い。

 

生産性を上げたり、技術開発をして革新的な商品・サービスを創り出すとか、

 

基本的には、「疲れるし、上手くできそうにないから、やりたくない」。

 

それに、出る杭は打たれる光景を、よ~く見てきたから、わざわざ打たれるために頭を伸ばすのはバカである。というロジック。

 

要は「できるだけリスクを取ったり努力したりはナシで、安定的に利益を得て、生きていきたい」というのが日本の大多数の、(若い人はどうなのか知りませんが)伝統的な価値観です。

 

と言ってる私も、あんまりイノベーションとか興味なくて、普通に細々と、平和に生きて行けたら満足するタイプで、日本人らしい価値観も持っています。

 

何が問題なのか?というと、

 

その「負荷の低い、安定した生活」を、成すための、「合理的な裏付けがない」ことです。

 

「負荷の低い、安定した生活」は、コスト0では、生成できません。

 

そのコストを自分たちが払うか、それとも関係ない誰かに払って貰うか、それは次段階の話ですが、まず1歩目の話としては・・・

 

「負荷の低い、安定した生活」は「なるべくしてなるようにする」、つまり合理的裏付けを得る、ことが欠かせない必要条件であるということです。

 

例えば高度経済成長期は、「国民が希望を抱いていた」とか「朝鮮戦争の特需」とか「人口増」とかの合理的裏付けによって、なるべくしてなったものです。

 

年月が流れて、その裏付け背景を失ったのならば、新たな裏付け要素を作らなくてはいけないのですが、

 

それを怠り、ただ、「安定した生活」という果実のみを食べ続けているのが現状で、いまだに食べ続けたい、そうするしかない、という世界観の人が大多数ということです。

 

裏付けがないので、強制的・自動的に、「若い世代に犠牲になってもらう」という流れになっています。

 

ここで私が、「そもそも人間って弱いものだから、許してあげよう」と言ってみたら、どのような印象を持たれるでしょうか?

 

私はバリバリの「弱かったら困る」の価値観の人間で、全体の個の力を必要な分だけ底上げする必要を常に感じていますので、「そもそも人間って弱い」という諦観フレーズは、嫌いです。

 

ただ、「そもそも人間って弱いものだから、許してあげよう」は、100%間違っている言葉ではないので、状況によってはこの言葉を吐くかも知れません。

 

で、「私は」「若い世代に犠牲になってもらう」は、気が引けます。

 

そのため、ある程度、今の若者の犠牲は、キャンセルするべきだと思っています。

 

それは、あらゆる組織のトップダウンで、効率化を推し進める「人力」の方向性と、

 

「AI利用による生産性向上」の方向性の、両輪で行くのがいいと思います。

 

川崎レナさんは「いつになったら世の中良くなるんですか」と言っていましたが、

 

タイミングは、今すぐじゃないかもしれません。

 

まだ、「安定した果実」を食べ続けている人らがいるので、

 

その人達が管理職から外れたら、一気にギアを上げていく感じになると思います。

 

高齢者の人達は、もう、「野球のボールを投げたら放物線を描く」ように、「なるようにしかならない」と私は思ってるので、自然引退を待っています。

 

「あれやってくださいよ!」「こう改善してくださいよ!」

 

っていうのは、「余裕のある人」に対してのみ適用できる言葉なので、

 

もはや壊れかかった機械のような、疲弊した老兵は、残った時間、好きなようにやってもらおうと「私は」思っています。

 

無理なことを「やれ!」というのはやらない主義です。

 

こんなかんじですね。

 

この歴史的な難局を乗り切ったあと、振り返ってみたら、「令和時代の高齢者の動きは、まぁ、どうにもならない制御不能な動きだった」という評価になると思います。

 

私は、あんまり他人に気を取られずに、自分の人生を生きることを大事にしていこうと思っています。

 

それを全員でやれば、パフォーマンスは上がるので、おすすめです。

 

おわり