【趣味日記】読んで頂いてる方へ

最近、日記の閲覧数がコンスタントにあるので、おそらく何らかのカラクリで、見てくださっている方々(6~12人?)がいるのだと思います。

 

けっこうな長文を、読んで頂いてありがとうございます。

 

私のこの日記は、誰かに読まれることも想定してますし、誰にも読まれない(壁に向かって独り言をいってるようなもの)ことも想定しています。

 

読んでばっかりもいいのですけど、自分で日記を書くことを私はおすすめします。

 

誰にも読まれないかもしれない(全くバズらない)日記を書く意味とは、

 

簡単に言うと、「姿勢を正す」ということです。

 

もっと正確に言うと、「現実世界と、真摯に向き合うため」です。

 

例えば、外国では、「ガザのパレスチナ人を殺すな!」という主張のデモ活動が起こったりしていますが、

 

この行動が、「本当の自分の気持ちからくる行動なのか?」というと、怪しい部分があります。

 

もちろん、本心から、ひどい目にあっているパレスチナ人に共感して、「彼らを救いたい」という気持ちで、行動している人もいるだろうと思いますが、

 

ああいったデモ活動は、「色んな種類の人間」のミックスになっています。

 

例えば、「単に、アメリカ国民を抑圧しているユダヤ人の支配が気に入らないから」

 

パレスチナ問題を」「口実にして」「反ユダヤを」主張・攻撃している、という人も、一定数以上混ざっていることでしょう。

 

そして、「なんかみんなが活動やってるから」「自分も一緒になろう」という、お祭り気分の人もいると思います。

 

今挙げた3種類の人は、みな一緒に「同じ行動(デモ活動)」を取っていますが、

 

「現実に真摯に向き合っているか?」という観点では、まったく別種の人間です。

 

そして、抗議を受けているアメリカのユダヤ人側も、それがわかっている。

 

もしも、「本心からパレスチナ人の被害に心を痛めている」デモ参加者が100%であるならば、「相手に通じるメッセージは確実にあります」が・・・

 

実際はそうじゃない、単なる反ユダヤマシーンも混じっているし、一時の集団の勢いに流されてるだけの野次馬もいる。

 

なので、体制側からすれば、基本的には「デモは制圧する」の一択になるのです。

 

ユダヤマシーンの人は、現実と真摯に向き合っているとは言えません。

 

彼らは、「ユダヤが悪者だ」と声高に主張します。

 

それは、「言葉そのままの気持ち」じゃなくて、

 

「私たちは被害者だ」という気持ちなのです。

 

それが本当の気持ちであるならば、以下のように言うべきです。

 

「私たちに降りかかっている困難は、自力で解決するのは無理です。私たちの責任であって欲しくない、誰か助けて!」

 

正直にこう言える人は、現実と真摯に向き合っていると言えます。

 

しかし、「周りからの目には」「情けない弱者」に映ってしまう。

 

それは格好悪いし、誰も助けてくれないし、屈辱的だから・・・

 

「相手を威勢良く糾弾する」「強者を演じるしかない」という事情です。

 

ただ、これをやると、「in fight(戦闘開始)」ですから、抑圧され、困難は固定化します。

 

そうじゃなくて、ちゃんと「私は本心から、こうです」と、率直に発信することが非常に重要です。

 

仮に、誰からも無視されているようでも、大きな騒音にかきけされるようなか細い声であっても、

 

「確実に『何者か』は、その発信を」「見ています」。

 

この誰も見ていないような、独り言のような日記であっても、「誰かは必ず見ています」。

 

世界の構造から言って、誰も見ていないということはありえないのです。

 

それを知っているからこそ、私は日記を書いています。

 

短期的には、効果は得られないかもしれませんが、「現実と真摯に向き合う」ということは、そういう「利益獲得ゲーム」の枠内ではありません。

 

私にとってそれは、「生きる」ということです。

 

現実世界は、ある人にとっては面白くもなるし、ある人にとっては残酷で厳しいものにもなると思いますが、

 

それは、「現実世界を鏡として」「自分自身を映している」ものです。

 

自分次第で、世界は見え方が変わるということですね。

 

そのため、「自分の本当の気持ちを発信する」ことによって、

 

「世界は、あなたに良くマッチした表情になりうる」のです。

 

だからこそ、日記でも、SNSでもいいですけど、

 

「本当のあなたらしさ」を表現して、世界にそれを映すのがいいと思います。

 

これは、あらゆる行動にも通じるものがあって、

 

例えば「選挙に行っても、じぶんひとりの一票じゃパワーがないからやらない」

 

っていう「短期的な損得」の世界観をちょっと横に置いといて、

 

「自分の本当の姿を世界に映すために、選挙権を行使する」という行動原理で動くのが良いと思います。

 

まぁ、「本当に誰にも投票したくない、民主主義が壊れてもいい、それが私の表現だ!」という場合は棄権してもいいでしょう。

 

これらは私の趣味嗜好でこう言っているわけではなく、「世界の構造的にそうなっている」から、じゃあそうしたほうがいいな、と言っています。

 

ただ、人間社会では、「弱い人間を叩く」圧力がありますから、大体の人はビビって、本心を隠して守りながら、強い者を演じる傾向がありますね。

 

それがわかってて、被害の固定化も受け入れて、やってるならいいんですけど、

 

わからずにやってる人が多いと思うので書きました。

 

期せずして長々と書いてしまい、申し訳ありません。

 

しかし真面目に書いています。

 

私が現実世界に真摯に向き合うと、こうなるというだけのことです。

 

おわり