安定志向-不動の概念

今回のテーマは「不動の概念」ということで、

 

安定志向の意志決定のメソッドを書こうと思います。

 

これは私流なので、参考になるかならないか程度の情報です。

 

まず、前提として「世界は安定を望んでいるように」見えます。

 

「再現性」とかも、「こうしたら→こうなる」の安定性の側面があります。

 

もしも安定している「柱」があれば、それにしがみつくことで自己の保全が担保されるから価値が高いということになっています。

 

一般的な人は、幸せに「加速度」を求めがちですので、安定とは原理的に逆行しています。

 

一方、私は「幸せの加速度」ノーサンキュー派ですので、そこの前提がズレていますので、よって、この日記に書くことは参考になるかならないか程度の情報ということです。

 

じゃあ「安定」ってどうゆうこと?って言うと、

 

内部的には「常に平常心」で、

 

外部的には「行動パターンがブレない」てことです。

 

例えば、「タイタニック号が大破して沈没しかけてるぞ」っていう状況下においては、

 

普通の人は「ワー!キャー!」叫んで、

 

内部的にはパニックの嵐です。そして、

 

外部的には「人混みを押し分けて全力でダッシュする」みたいに、これまたいつもと違うパターンの行動が見られます。

 

こういう人は、「安定してないね」という評価になります。

 

それは前提如何に依って、ネガティブな意味にも、ポジティブな意味にもなりえますが、この日記において限ると、ネガティブな意味での評価としています。

 

じゃあ「安定してる人」ってどういうのかというと、

 

まず、「立ち止まって」「最も成功確率の高い、逃走経路を考えるんです」

 

内部的には、恐怖もあると思いますが、その感情は「とりあえず横に置いて」おきます。

 

感情のケアは優先度が低いからです。それよりも、生命の保全が優先です。

 

外部的には、「最も優れた逃走経路を特定して、周りのパニック群衆の動きを見極めながら、安全にそこへ向かう」をします。

 

この両者の差はなんなのかっていうと、

 

「両者が注意を向けてフォーカスしている対象」が「違う」ということです。

 

普通の人は、常に「内部」と「外部」に注意を向けています。

 

・「内部が乱れているのは」「外部のせいだ」→「外部を操作しなきゃならん」

・「外部の操作を誤ったのは」「内部のせいだ」→「内部を常に豊かにしなきゃならん」

 

といった具合に。

 

内部⇔外部の相互の情報のやり取りの場において、幸せになるための「内部」「外部」両方の理想形・最高形を目指すといった、人間らしい「欲深い」志向です。

 

ちなみに「欲深い」ことへの批判ではないですよ?人間は「欲深の係り」らしいですから、それは素直で優れていることなんだと思います。

 

一方、私は「外部」にしか注意を向けません。タイタニック号沈没のようなデッドオアアライブ環境では特にです。(最近は、日常では内部に注意を向けるように変化を促していますが)

 

「生き残る」という観点でいうと、「外部」のみに注意を向けた方が、意志決定の精度が上がります。

 

なぜかというと、

 

「内部」がどれだけ激しい嵐であっても、「人間は死に至らない」ことを知っているからです。

 

タイタニック号の例で言うと、

 

タイタニック号が沈没しかかっている」ということは外部の不動の事実です。

 

そして、その不動の事実が、「生死と関わっている情報である」ということになります。

 

その外部の動きを見て、「パニックになろうが」「平常心であろうが」

 

内部がどうであれ、「外部状況(船が沈みかけて危ないということ)には、変化は全くない」ということです。

 

だから、この場合は、内部は無視してもいいのです。

 

もしも内部を無視しなかったら、

 

例えば「恐れがMAXになり、救命ボートに我先に乗り込もうとする余り、他の客を突き飛ばしてしまった」

 

という行動(外部への操作)が発生します。

 

これは、ある意味、「内部の情報がきちんと外部へ伝わった」という現象で、正常な働きである、とも言えますが、

 

「安定志向」の観点でいうと、めちゃくちゃ混乱を招く行為でマイナスですね。

 

「内部なんて今はどうでもいい、生き残ることが最優先だ」

 

「そのためには外部の状況を正確に把握せねばならん」

 

「外部の状況を把握したら、最も適切な行動(外部の操作)を行わねばならん」

 

っていう冷静な対応が可能になります。

 

その際、「実は心臓がバックンバックン、恐怖を感じているかもしれませんが」

 

「その内部は今は無視して良い」という確信があるために、

 

「とりあえずその感情は横に置いておく」という操作が可能になります。

 

ただ、若い頃、これをやりすぎた私は、感情が乏しくなってしまったので、程度問題でもあるのですが、

 

「普段から内部・外部の最高形を追求する、幸せの加速度を求める」ような

 

まるで欲望の形が「三階建ての年金」みたいな構造になっていると、

 

いざ危機的状況に陥ったときに、慌ててミスるのは必然ですねってことになります。

 

私は安定志向で、

 

「とりあえず身体が生きてれば(生き残れさえすれば)、人生どうにでもなるよね」という

 

一階建ての国民年金みたいな欲望の形ですので、

 

「難易度低いし、安定性のメリットを享受して、操作も精度が高くできる」というアドバンテージを得ることができます。

 

でも、年金が三階建てじゃないので、そんなに上昇気流のようなハッピーとは無縁です。

 

一長一短、どっちでも良いと思いますが、

 

できれば他の人も混乱を積極的に作り出すのはやめてほしいなぁと個人的に思います。

 

おわり