ま~た

管理関係各者と話し合い、私はまた地獄に落ちかけましたよ。

 

人間としても死にかけましたが、結局、また平和な日々が始まっています。

 

で、方針なんですが、

 

私の独り言だと思って欲しいのですが、

 

結局、人間は、「内面を変えなくてもいいと思います」。

 

今のままのあなたでいい。何も反省しなくていい。

 

私は内省的な性格なので、日常的に考え方とか、価値観を変えまくってるので、

 

「他の人も、それをやればできるだろう」と軽く思ってたんですが、

 

やればできるけど、「政治的に」無理だとわかりました。

 

私の想像以上に、管理サイドは「不自由」です。

 

「やろうと思えば何でもできる」のが管理者だと思ってる人も多いのではないでしょうか。

 

実際、やろうと思えば何でもできるは、真実なのですが、

 

生きてる人間の想定をはるかに超える「制限・ルール」に縛られていて、

 

実質的に「自由自在とはほど遠い」状況下で、運営は行われているようです。

 

なので、もし管理サイドを「従ってれば利益供与してくれるパパ」または「自分の至らない点は、ケツ拭いてくれる便利屋さん」だと思っているのであれば、

 

その認識は「甘い」と思います。実際に甘い認識を採用するのは人間の自由ですが、知識・情報として、「管理サイドを使役してもいいんだ、という認識は甘いんだなぁ」と思って頂ければ幸いです。

 

で、私の観ている世界としては、特に日本では

 

「印象第一」ですよね。

 

あるいは「経済の数字第一」とか。

 

表面的な見え方・印象さえよければ、「中身」がどれだけ劣っていて、醜く、卑怯で、腐っていても「構わない」。

 

そういうの嫌いなんですが、

 

それで行くのがいいと思います。内面はどうあれ、印象第一・表層第一・建前さえ守れば悪事もオッケーで行きましょう。

 

つまり、最近は変革期のように見えていますが、「その点に関しては何も変えなくてOK」だと私は思っています。

 

さきほど書いた「内面を変えなくて良い」「反省しなくていい」「今まで通りの、あなたでいい」というのはそういうことです。

 

で、表面だけ繕って、「実態がボロボロ」を肯定するわけですから、

 

経済とか、道路のメンテナンスができないとか、医療がすべての人に行き渡らないとか、家計が破産する人が増えるとか、治安が悪くなるとか、

 

実際に起こるわけです。

 

それが許容できないレベルに達するのであれば、ある程度望む形で対応すればいいと思います。

 

許容できちゃうなら、実態はボロボロになるでしょうね。

 

私は、社会の公共サービスが著しく低下したり、治安が悪くなったり、みんなが荒んできたりするのは「嫌」ですが、

 

「最悪」ではないので、別にそれならそれでも構いません。

 

「国民の総意として」「それが嫌であるならば」「それ相応の対策とればいいじゃん」

 

と思っています。

 

「自分たちの世界は、自分たちでしか良くできない」です。

 

やるならやる、やらないならやらない。

 

とりあえずミッションは「印象・表層第一主義」「実質を隠蔽」で、それ以上はありません。

 

そのミッションにおいて、何か今より「マシ」にしたいところがあるのであれば、それをやろうじゃありませんか。

 

という提案でした。

 

という独り言です。

 

おわり