成田さんブーム

なんかヤフーニュースを見てると、イエール大助教授の成田さんの「老人は集団自決」ワードが改めて批判されているようです。

 

なんか謎っぽく蒸し返してるな、と感じます。

 

私は成田さんの発言とか、以前チェックしていたので、前にも日記に書きましたが、明らかにこれは「誇張表現」ですよ。

 

この発言の意図は、「死ね」じゃないと思います。

 

「それが合理的な判断に思えるような、ひどい状況なんですよ」

 

→「老人の人は危機感を持ってください、現実を見てください」

 

ってことでしょう。

 

実際、どのくらいひどい状況なのかはわからないのですけど、

 

とりあえず、年老いてへたってるのに、生涯現役気分の高齢の方が政治的決定の分野でハバを効かせているのは事実でしょう。

 

年金とか、健康保険とか、財政破綻ルートに乗ってるらしいですし。

 

で、「その状況下において」

 

「政治的決定でハバを効かせている老人世代が」

 

「無策である」「なんかのマシーンのように同じ事を繰り返している」

 

みたいな状況を成田さんは悲観して、「老人は集団自決」発言に至った、という場面です。

 

この文脈で、実際の老人の人が「老人は集団自決?私、死ねってゆわれてる!(怒)」

 

あるいは世代関係なしに観客が「あっ成田さんが死ねってゆってる!ひどい!(怒)」

 

って、会話のキャッチボールが成立してないと思います。

 

そういえば、うちの父親も、

 

「成田というやつが、老人は死ねと言ってる、なんてやつだ(怒)」って言ってましたね。

 

私は父親に死んで欲しいとは全く思ってませんが、

 

老化による肉体の衰えが進んでいて、短期間に、ガスコンロの火を消し忘れて放置する事件(ボヤにも火事にはなりませんでしたが)を起こす程度の衰えがあります。

 

1回目の消し忘れの際に(なべの中身が黒こげになったのですが)、私は、

 

(あ、これ・・・多分また同じ事やるな、やばいな)

 

と危機感を覚えて、

 

「消し忘れないようにするためには、やり方を変えるしかないよ。やり方を変えない限り、人は何度も同じ間違いを繰り返すものだから、やり方変えてね!」

 

と厳重注意したのですが

 

結局、1週間もたたないうちに、また消し忘れ(この時はこげませんでしたが)をやりました。

 

で、私は「あ~やっぱりな」と思って、

 

「やり方を変えたの?」と聞いたんですよ。

 

そしたら「・・・」だんまりで、結局、注意したのにその契機を活かすことをせずに、「やり方を変えなかった」んですよ。

 

で、それで、私は久々に怒って、

 

「お父さんのように高齢じゃなくても、やり方を変えなきゃ同じミス繰り返すんだよ!だから『やり方変えてね!』って言ったのに、変えてくれなかったんでしょう?(呆れ)」

 

「やり方変えるか、もう台所に立たないか、どっちかしかないよ!火の注意も、改善も、制御できてないなら、どっちか今判断してよ!」

 

とキレて、

 

まぁあんまり怒るのもなんなので、

 

「火使いたいんでしょう?じゃあ、やり方変えてね!」

 

と穏便に話をつけたら、

 

「はいはい、」ってゆってました。

 

その状況下でも「はいはい、」しか言えないくらいの老化が進行しているということです。

 

そういう衰えがあってもなお、父親は、謎のプライドを持って「自分はどこどこまでも走り続けるんだ」

 

という意欲を持っています。今75歳で、目標90歳まで生きるとかゆってましたね。

 

つまり、団塊世代は謎の信仰にすがって、ある意味「社会部品」のように振る舞い、同じ志向でずうっと、永遠に、(死をイメージせずに)、動き続ける、クレイジーな側面があるのだと思います。(あくまで私の父親を見ての印象ですが)

 

「自分はこういう部品だ」という解釈自体も、それでよかった時代はいいのですけど、時代が変わり、状況が変われば、「その部品はミスマッチでお払い箱」になることは、常にありえるじゃないですか。

 

でも、「状況の変化への対応をしない」ことのリスクを過小評価しすぎるくらいの、大きな勘違いというか、「謎の強すぎる信仰」を持っているのです。

 

こういう「行き過ぎた価値観」に対する、カウンターとして、成田さんの「集団自決」発言は存在している、という構図だと思います。

 

そもそも、「死ね」って言われて、実際には誰も積極的に死なないでしょう。

 

普通は「コイツ何言ってやがんだ?」でしょう。

 

まぁナイーブな人は傷付くかもしれませんが。言葉の暴力性としては、確かに不適切だったかもしれません。私も他人に「死ね」とはほとんど言わないですからね。

 

重要なのは

 

「コイツ何言ってやがんだ?」という疑問からスタートして、

 

「どういうことなのか、(成田さんの)話を聞かせて見ろよ」となり

 

「あぁ、なるほど、キミは、そういうことを危惧してるんだな」

 

「わかった!こっちも都合があるが、そちらにこういう譲歩をしよう、そうすればオレは死ななくてもいいよな?」

 

という議論が、、、「始まらない」という現実があります。

 

「死ねなんてひどい!」っていう方向に行ってしまう。

 

ちなみに私の考えでは、

 

とりあえず老人は思う存分生きてもらって、年金とか健康保険とか、破綻するとやばいから、みんなでなんとか策だして、合意形成して、よりベターな道を模索しましょうよ。

 

という、ふつ~の感じになりますね。

 

無理なら無理で、できないならできないでしょうがない。

 

でも、できないなりに、「よりよいHow to do」を模索していく、ってだけだと思いますけどね。

 

こういう普通のことができない制限がかかってるんでしょうね。

 

私だったら初手で、その制限を無視しますけどね。

 

とりあえず無視してやってみる。問題があるなら、たぶんどこからから頭をはたかれる(突っ込みが入る)と思うので、

 

その突っ込みの正体を見極めて、軌道修正していく、

 

みたいなのでいいと思うんですけど。

 

成田さんの過失というのは、

 

「変化を急ぎすぎている」点(それゆえに発言が過激になる)でしょうね。

 

その過激さが、一部の人へのサービスでもあったと思うので、

 

まぁ~結論は、別に過激なこと言ってる人がいたとしても、それに合わせて反応も激しくする必要性はないよね、というところです。

 

私はかなり父親をディスりましたが、一人の人間としては尊重しています。

 

ただ、かなり老化でポンコツになってきてるのに、プライドだけは一人前なので、それには首をかしげるばかりです。

 

私だったら、自分が老化してポンコツになったら、謙虚になりますけどね。