娯楽性日記 8/10その②

今回のテーマは「何もしない人」です。

 

私は、今、仕事を持っていないし、基本的にこの日記とかで「言うだけ」で、具体的な社会活動とかはほとんど何もしていません。

 

社会的に意味がある活動としては、父親の生活を家事の面で支える、くらいですね。

 

私はそういう意味で、ほとんど「口だけで何もしていない人」です。

 

こんな人生、社会において一仕事も成していない状態は、機能不全だとか失敗だとか見なす人もいるかもしれません。

 

実は、私もそう思っています。いや、嘘です、ほとんど思っていません。

 

なぜ嘘をついたかというと、本心では「何も成してなくても問題ない」と思っていますが、大多数の人が「それじゃ満足できないからダメ」と思うことも、理解できるからです。

 

たしかに、イモムシがずっとイモイモとうごめいているだけでは、不十分で、やっぱり綺麗な羽をはばたかせる蝶であった方が、正解のように見えます。それは確かに、私も見えます。

 

しかし、客観的に世界を見ていると、どうかんがえても、「社会的な活動を何もしていない状態」は、つまり「隠居、引きこもりのような状態」はニュートラルポジションではないのです。

 

家から出てなくても、生きてるだけで、間接的に家の外に影響は与えています。これは私にとって、「そうであったらいいな」ではなくて、「実際にそうなっているとしか解釈できない」事案です。

 

ただ、おそらく確かなことは、ずっと家の中にいることは、外に出て活発に活動することよりも、世界に与える影響は小さいかもしれません。

 

私は、「自分が、世界に大きな影響を与える段階に達していない」という認識なんですよね。まだまだ早い、初級者だから。

 

活動的な人からすると、「それは完璧を求めるばかりに失敗を過度に恐れている」ように見えるようです。

 

確かにそうだなぁと思う反面、私にとってはそれが普通なんだけどなぁ、と思っています。

 

このことは以前の日記にも書いたのですが、病院で脳死状態で意識なく眠っている患者の人も、生きてるだけで、世界には影響を与えていると思います。

 

逆に、影響がゼロっていうのは、その状況を作り出すことは、おそらく人間には不可能でしょう。

 

零細企業だからって、自らを卑下する必要はないはず。

 

私は大企業にはなれないけど、零細企業主として、楽しく生きていきたいです。