思考のフォーム

思考のフォームは結構大事です。野球におけるバッティングフォームが大事なのと同じくらいの意味で大事です。

 

アクションをシステマティックにすると、パフォーマンスが安定する、イレギュラーなことを察知して対応できる、という利点があります。

 

逆に、場面によって思い思いのアクションを取る、というのはリラックスするときはいいと思いますが、何かを成したいのなら、フォームは固めざるを得ません。

 

私はすべての行動が理に適っているわけではありません。さぼるときは死ぬほどさぼりますし。まじめモード、リラックスモードの使い分けをすれば、理屈にがんじがらめで生活に支障をきたすことはないと思います。

 

まず、思考のフォームを固めようと思うなら、まず第一にやらないといけないことは、意思決定権をどこに置くか、はっきりさせることです。

 

私の場合は、感情と理性を衝突させ、どちらが意思決定にふさわしいか決着をつけました。実際に勝負しないと、わからないからです。これが確か19歳の時だったような。

 

で、理性が意思決定権を持つのがふさわしい、という確信を得ました。

 

ここがふらふらしてしまう(あるときは理屈で行動し、またあるときは感情で行動する)と、海を漂うワカメみたいになってしまうので、なかなか自分を客観的に捉えられず、物事が前に進みません。

 

客観的に捉えずにやるんだ、という人はワカメスタイルでもいいかもしれません。道はひとつではないので。ただ、与えられた時間が少ない場合は、最短経路をいく必要があります。客観視するということは「速い」という価値がある、というだけですね。

 

理性に意思決定権を持たせた場合、感情に影響されない純粋な理性を構築する必要があります。この純粋な理性は言語を発しません。言語を発するのはスタートが感情で、実行者が理性の一部だと思いますが、純粋な理性は「マッチ/アンマッチ」の照合機能が主になっています。照合できるということは、観察もできるということです。

 

この観察のひとつが、「内観」です。内観をやるというのは、ぱっと聞き「自分という対象を詳しく知る」ことが主目的のような気がしますが、最も重要なのは、「自分を観察できる(純粋な)理性の作り込み」がメインの目的です。

 

純粋な理性がやることはシンプルです。

①観る

②マッチ、アンマッチをジャッジする

 

これだけです。その他の補助的な作業は感情と繋がっている理性が行います。機能はシンプルですが、実際の活動としては、もやもやした3D思念を扱うので、手や足とは1段階レベルの高い機能だと思います。「抽象的思考」というやつでしょうね。

 

感情に支配されている人は、この「もやもや」が感情によってかき消されてしまっている状態だと推測します。感情がノイズになるんですね。もっとも感情が大事な人にとっては「理性のもやもやの方が」ノイズだと思っているでしょうけど。

 

私の理性もまだまだ発展途上だと思っていますが、「見る」「ジャッジする」これだけのことを習得するだけで、生命活動的な速度はかなり上がります。

 

純粋な理性ががっちりできてしまえば、これを足場にして、感情と繋がっている理性の改修などもスムーズにいきます。

 

知的なあらゆることにおいて、スピードを求めるならば、純粋な理性の構築は必須と思います。世界の学術界は、スピード遅くてもいいからみんなで力強く行こう、という趣旨のようですので、まぁそれでも平時はいいんですけど、

 

状況によってはそれだと詰む可能性があり、それがもったいないなぁと思います。