欲望のコントロール

欲望をコントロールするのは、けっこう難しいみたいです。

 

欲望を「脳内物質の放出」と物質的に捉えると、理性の正常な働きを、それが阻害して、傍から見たら短絡的な行動(目先の利益を追って、将来的な不利益を考慮しない行動)を取ってしまうという現象になります。

 

これを防ぐためには、「欲望を客観視する」というアクションが必要なのですが、これがなかなか難しいですね。

 

欲望が理性の意思決定機関に対してインターセプト(妨害)している状態では、「欲望を客観視して、何かいいことあるの?別に意味ないじゃん」という解釈になるからです。

 

実際には、欲望を客観視して良いことは有りまくりなのですが、ここで、ちょっとアプローチを変えてみて、「欲望のインターセプトに影響を受けない意思決定機関を確立しよう」という発想が近道かなと思います。

 

普通は、感情から欲望発生→理性を支配→行動 というフローになるのですが、これを改造して、

 

理性内で欲望A発生→理性構築→感情からの欲望B発生→理性がジャッジしてBの取捨を選択→行動

 

というフローにすれば、欲望Bはコントロール可能でしょうね。つまり、理性で自制が効いてる人というのは、理性内で「欲望A発生→欲望A満たす」を完結させている状態になります。

 

私で言うと、好奇心ですね、これを満たすために理性が構築されています。じゃあ好奇心がない人はどうすればいいのでしょうか。

 

好奇心を持つように仕向ける?そんなの可能なんでしょうか。ちょっと難しそうです。

 

元々好奇心を持っていない人は、「感情からの欲望を満たすために理性を構築して、行動する」「感情からの欲望は、理性に対して度々インターセプトをする」という形態になっています。

 

私がもし好奇心がなければ、これと同じ様になると思います。これを解決するのは難しそうですね。

 

好奇心とは何ぞや、という研究をして、好奇心を移植するような手段を開発しないと、この問題は解決できない気がします。

 

目先の事でいうと、じゃあ感情からの欲望をコントロールできていないマジョリティの人は、どうあるべきか、ということに対して答えを出しておく必要があるようです。

 

それは次回に考えてみます。