欲望のコントロール その2

前回の日記の続き「感情からの欲望をコントロールできていない人はどうするべきか?」について考えます。

 

昨日、久しぶりに寝ながらウンウン考えてみたんですが、なかなか良いアイディアが出ませんでした。私の思考力は順調に劣化しているようです、

 

私の日記を書く行動は、「工夫したインプットを与えて、思考のブラックボックスに良い影響を及ぼす」という志向のアクションなのですが、

 

今回のテーマは脳の働きに改編を加えるという大きな変化なので、その人にとってはOSのバージョンアップくらいの大インパクトになり、そこまでもっていくだけの力が日記にはありません。

 

つまり、今、ベストな判断というのは「感情からの欲望と理性はコントロールできてなくてもいい」ということになります。短期的には、現状維持策ですね。

 

ここらへんが文章インプットの限界かなぁと思います。長期的には、脳科学を用いて「好奇心」を研究する、(好奇心以外でもいいんですが)感情に依存しない意思決定機関の構築プロセスを発見する、それを脳に実装するための何らかの手段を開発する、というのが確実に利益が見込めるアクションになります。

 

感情からの欲望のままに、理性を構築するということは、それを洗練させた先には、「効率的に欲望を満たす理性」が生まれます。これはこれで価値はあると思うんですが、構造的には「欲望のままに動いてる」と同じようなことなので、表現するならば「スマートアニマル」でしょうか。

 

スマートアニマルというのは、あんまり貰っても嬉しくない称号かと思いますが、そもそも人間である以上、哺乳類の動物であることには変わりないので、動物か動物じゃないかと言われたら動物でしょう、の意味のアニマルです。私もアニマルです。

 

スマートアニマルの、何が問題か、それは、悪意が大きければ自然に破壊活動をするし、善意が大きければ自然に自分や周りを幸せにする、という振れ幅の大きさです。

 

犯罪者がいれば、みんな「お前が悪い!」と言いますが、実際は、同じ精神構造で、中身の欲望が違うだけ、という状況になります。

 

中身が違うんだから、違う人間だ、という意見はごもっともです。私はよく原因を構造に求める癖があるので、今回のケースは「悪い人と良い人は、違う人間だ」という判断は社会的に正しいのだと思います。

 

ただ、知っておいてほしいことは、「欲望と、それに属する理性」を、自分の最高責任者にしている状態では、容易に「他者の操り人形」になりうるよ、ということです。

 

もし、この「他者」の部分に、「金」を置くか、「偉い人」を置くか、「神」を置くか、何を置いたらいいんだろう?と悩んだならば、「自分」を置いても、道はありますよ、と言っておきます。

 

私にできるのは、そのくらいのことです。