活路・死路について

私の意思決定システムを観ていただきます。

それによって、「活路」「死路」について説明します。

 

■通ったルート(人生の歩み)

・母親に愛されて育つ、また、衣食住に何の不安も抱いていなかった

・勉強に励む(掛け算の概念に触れて感動、算数が面白いと思う)

・勉強がつまらなくなる(答えがひとつしかない算数よりも国語が好きになる)

・受験で志望中学校に合格する(気合を入れて絶対に合格するとゆう、強い気持ちで)

強い気持ちの動機…受験に失敗したら周りに対して恥ずかしいとゆう気持ちと、親から受けた投資に対してリターンを返さないと意味がないという気持ちと、母親からの激しい干渉を減らそう(志望校に合格して母親から「1人前の人間」と認めてもらうことで、干渉が減るだろうと予想していた)

・母親からの干渉が、さらに強くなり、絶望のどん底に(中学受験は、母親をおんぶしながら100m走のレースをするような感覚、かなりの心体の消耗、しかも良い結果を出したにも関わらず、状況がさらに悪化したことへの絶望)

・強い干渉にさらされる中で、母親を殺すか、自殺するしかない、という選択を理性的に検討するところまで追い詰められる

・母親を殺すと、家族・親戚に迷惑がかかると予想されたため、選択しなかった

・次に自殺を検討する(自分が本当に自殺を望んでいるのかについて確認するために、手首から血液が垂れ流れ続けて多量失血で死ぬ過程を想像するとゆうシミュレーションをする)

・自殺シミュレーションの中で、心の底の方から「死にたくない」とゆう女性の声が聞こえたような気がした

・その声の意志は汲み上げる価値があると判断し、自殺を選択せずに、活きる道を歩む道を決意する

・母親からの心理的攻撃圧力に耐える強さを得るために、自らの心を、母親以上の強度で攻撃圧を加える策を選択する(地雷に片足を乗せている状態では、針で腹を刺されても痛みが気にならないように、ダメージを、より大きいダメージで隠せば相対的に母親からのダメージが軽減されると想定)

・生物として強い人間になることを決意する(資本は自分の身ひとつであり矮小である、そのため、機動力を高めるしかない、つまり情報戦における優位性を極めるしか道がないと判断する)

・日本のバブル経済の崩壊現象を思い出し、大人(子供ではない)が集団で誤った方向に進む現象が起こった、とゆう事実から、日本社会の脆弱性を認識する

・日本をより良くするために、国民の性質のアンバランス(欠点)を、我が身を以て是正する役目を負う選択する(天秤の片方に「自分以外の国民」もう片方に「自分一人」でバランスを是正する方向に全体を誘導する志向)

・情報の分野において歩を進める場合、ひとつの方向性として、さまざまな書物からのインプット、あるいは最先端科学の学術論文などからのインプットにより、大量の情報蓄積をベースにして真理を求める道が思い浮かんだが、その道はすでに世界中で多くの人間(研究者など)が歴史的に長い時間をかけて実践しているため、その道に自分が進んでも重要な情報は得られないと判断する

・人間がもつ、動物的な生存本能へのシステム的な信頼性へ疑問を抱く(電車の踏切では、鉄の塊が猛スピードで突っ込んでくる極めて危険なエリアであるにも関わらず、生存本能システムは恐怖心というアラートを出してくれない、科学技術の発展により生活環境が大幅に変化したが、その変化スピードに生存本能システムがついていけてない現象のひとつである、本能は古いシステムであり、そのまま運用するのは誤りである、適切な改修が必要だ)

・生存本能が信頼できない点、及び大量の情報を得る方向性を選択しないということで、自分が行くべき道は「手持ちの少ない情報から、信頼できると思われる基礎的なデータを抽出し、それを組み合わせることで、新たな情報を生み出し、情報を増やしていく、そのサイクルを繰り返す」という、例えば数学でいうと公理系からの積み上げをするような方法論を用いる道であると決める

 

中略

 

・今に至る

 

こんな感じですが、私の10代の頃に歩んだ過程は、意思決定のエッセンスが多量に含まれていると思います。

ネットでこれをやると、「自分語り」となってやや恥ずかしいのですが

私はかなり特異な道を選んでいると自覚しているので、研究におけるひとつの「サンプル情報」として価値はあると思っています。

私自身、当初から自分のことを実験モルモット(100%ではないですが)として扱い、観ていたので、他人に実験モルモットだと思われても気分は害しません。

 

長くなったので、活路・死路の話は次回にします。