活路・死路について その2

「人はどのように生きるべきか?」という問いに答える場合、重要な基礎情報となるもののひとつは、「生きている環境において見られる理」です。

 

簡単に言うと、地球上の自然の摂理です。自然の摂理には、もちろん人間世界の理も含みます。

 

自然界の理と、人間世界の理は、ぱっと見競合している、つまりシステム内に矛盾を抱えているように見えるので、意味不明に見えますが、おそらく両者を貫くなんらかの理が存在しているということです。それは何か、とゆわれても答えません。地球の1プレーヤーである私の今の能力では、想像はできても検証不可能だからです。

 

自然の摂理の正体がよくわからない、困った、どうするか、そういうときは他からアプローチします。

 

まず、私たちは自然界(森や川や海や山などの構造物質+生命など)に触れて「それが存在している」と認識します。「広い世界のなかにいろんな存在があって、それを私たちは見ている」というシステムです。仮に、このシステムが人工物であると仮定して、いったいどのくらいの技術力が必要だと想像されるでしょうか。

 

私たちの技術力では、ゲームなどの作品で、2Dの画面に、3Dっぽいアニメーションを出力して、疑似世界を見せることはできています。さらにはVRといった拡張技術もあります。その技術をさらに拡張して、いま私たちがリアルの世界で見る(又は触る、嗅ぐ、味を見る)ことが可能なシステムを出力するためには、いかほどの技術力が必要でしょうか。

 

直感的に、「人間の技術力と比べて、もっと、遥かに高い技術力だな」と思うでしょう。人間の意思決定においては、そんなぼんやりした情報だけで事足りるのです。

 

(話を逸らしますが)重要なことは、「客観的で正しい情報」ではなく「主観的でぼんやりしててもいいから『確信』に足る情報」です。「あまり正確ではないことを正しいと確信する」のは嫌だな、リスクありそうで怖いな、と思う人もいるかもしれませんが、それに対しての答えは以下です。

 

答え…正しい情報でしか確信できない、という人は正しい情報を集めるのが良いでしょう。ただし、主観的でぼんやりした情報を用いても、それを確信しているならば、精度の高い意思決定が可能ということです。

 

さて話を戻しますが、「リアル世界を作った人(?)は、人間の技術力と比べて、もっと、遥かに高い技術力を持ってるな」を私は確信できるのですが、あなたはどうでしょうか?もし確信できないのなら、この自然界と同じものを実際に一から創造してみるといいでしょう。しかし地球プレーヤーの私は、そんなの無理だな、と思っています。

 

人類より遥かに高い技術力を持った人(?)が作るシステムは、その技術力に比例して、「洗練されている」はずなんです。(これは確信できるでしょうか?)

 

だから、リアルのシステムは「信用に足る」のです。少なくとも「今の私」は、リアルのシステムを作ることさえできない存在です。システムの欠陥を指摘することが(能力的に)できるステージには立っていないということですね。

 

だから、「人はどのように生きるべきか?」という問いに対する最も「ベター」な回答としては、「システム全体を信用し、自分の主観に合ったステージで、自分なりの『確信』を胸に抱いて行動する(できれは楽しく)」というものになります。

 

私はそれを踏まえて、じゃあ人それぞれの「主観」をいじくってステージのグレードを上げてしまおう、そのためにツイッターとかこの日記で情報発信しよう、というやり方です。

 

ひとそれぞれの主観はブラックボックス、わからないけど、インプットを操作すれば中身は変わる可能性が開けますからね。

 

今気づきましたが、「主観」をいじくってステージを上げるのを助けるのが、「教育」の役目なのではないか、と思いました。新しいアイディアゲットしました。

 

活路・死路について、前提として必要な情報なので以上のことを述べましたが、またもや本題に入れず。つづきはその3で。