教育データの扱い

行政がやっている、自治体を超えて共有する、教育データの形式標準化策に対し、教育データの一元管理化に向かっているんじゃないか、と批判されているというヤフーニュース記事を読みました。

 

今は、デジタル化の黎明期で、まだ教育データの扱いについてルールを作っている段階なので、個人情報のセキュリティはもちろん重要視しているし、その批判は当たらないとのこと。

 

ふぅん、私は教育データの一元管理はやったほうがいいと思う派なので、この記事の論点とはずれるんですが、率直に、教育データ(子供がなにを履修したか等の情報)の一元管理に反対する人の心理がよくわかりません。

 

国は、子供の教育データどころではなく、その辺の池の中にミジンコが何匹いて、そのミジンコの健康状態とかも把握できる能力を備えるのが理想だと思っています。

 

「マクロな視点で、情報を集めて、ミクロな視点で対象をどのように操作するか意思決定する」

 

一旦上に行って、確信を作り、下に潜る、というのが司令官の好ましいアクションの形態だと思います。それでいうと、国の行政府に、積極的に国民の情報を渡さないと、結果的に、効果的なアクションが望めなくなって、それは国民にとって不利益だと思います。

 

私は、自分の個人情報を、行政に上げても、何も困らないですね。上げた情報を、トラッキングで盗まれて悪用されたらやだな、と思いますが、そのリスクはデジタル化を許容した時点で受け入れています。

 

悪用されるのが嫌ならば、行政に個人情報は一切あげない!という態度になり、それはそれで一つの選択肢で良いと思います。

 

ただ、今まで持て余していた有用な情報を、デジタル化して、活用するというのは、ある種、自然な道というか、よっぽどひねくれてる人じゃなければ、誰でも通る大きなストリートだな、と思います。

 

自分のことを知られたくない、というのは何かやましいものがあるんでしょうか。やましいものがあっても、思想は自由なので「あぁ、このひとはこういうパターンの思想なのね、ハイじゃあ次の人は・・・」みたいにお咎めされることは少ないでしょう。

 

「多くの日本人を支配して苦しみのどん底に叩き落したい」という思想を持っていたとしても、「あー、そうなんですね、これは困ったなコミュニティと根本的に利害対立してるな」と思って、「このままだと多分あなたを無力化しないといけなくなるので、他の道を一緒に模索しませんか?他に趣味とか、好きなこととかないですか?」というような対応になると思います。

 

こういうきめ細かい改善行動を取るには、国民の情報の一元管理というのは近道でしょう。

 

日本でやらない、なら中国に先にやってもらいましょう。がんばれ中国。もしこれができたら、大分、政治の無駄が省けると思います。