一元論、二元論、多元論

noteでエッセイを読んでいたら、二元論という言葉がでてきたのでググってみました。

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<二元論の意味>

相互に還元不可能な独立した二つの実態もしくは原理を認め、そこから一切の事象を説明する立場。一元論及び多元論と対立する。

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ふむふむなるほど~、私が読んだエッセイはAI画像生成と人間絵描きの対立をテーマに書かれていましたが、その文脈の中で、デカルトの「物心二元論」が紹介されていました。

 

漫画の攻殻機動隊で描かれているように、肉体という機械のような物質に、精神体「ゴースト」が宿っているという考えが「物心二元論」のようです。エッセイでは、AIは「精神のない機械」だとみなせる、という風に書いていました。

 

二元論・・・肉体と精神は全く別だね、というところまでは私は同意しますが、それを基にして「一切の事象を語ろうとする」というのはアウトじゃないかなと思います。

 

なんでそんな楽しようとするんでしょうね。デカルトさんは、1596年~1650年の人で、この頃は大航海時代ですね。私はコーエーのネットゲーム「大航海時代オンライン」をやったことがあります。

 

まだ産業革命前で、肉体は機械だ!というのは先見の明がありますね。機械の存在が、人類にとって大きな意味があると予感したんでしょう。

 

このくらい昔の人なので、当時なら「二元論で一切の現象を語るぞ」というチャレンジはアリだと思いますが、今の21世紀で同じ志向を持つことは普通はないでしょう。

 

じゃあ一元論や多元論はどうでしょうか。一元論は、ある意味アリですね。ストロングスタイルです。今の時代で、一元論で全てを語ろうとするのは、一周回っていかしてますね。今風に言うと一元論はガチでやばいです。

 

多元論は、無難ですね。間違いが起こりにくいです。もし説明できない現象があったら、「まだ見いだせていない元があるからだ!」という言い訳をかましつつ、実際その方向で進んで行けば新しい発見があるでしょうし。現代のほとんどの人が、多元論なんじゃないでしょうか。

 

全ての事象を語りたいということは、今のままじゃ語れないということがわかってるということですね。

 

語れない理由は、「〇〇元論」とかの使う道具がへぼいからではなく、単純に見えない部分が多すぎるからだと思います。

 

世界の一部を研究して、詳細に知ることができた人は、「おっ!この方法で全ての事象を語れるんじゃない?」と思うのかもしれませんが、そんなに簡単な環境設定にはなってないと思うんですよね。

 

人間には見えない領域に、大事なキーとなる情報が含まれている、そんで、その大事なキーを用いても解けない構造にしている、みたいな多重防壁があると思いますよ。

 

とりあえず、全ての事象を語るという目標は置いておいて、じゃあなんで「肉体」と「精神」の二元があるように「私たちは見ているの?」という点に注目して、その研究した方が良いと思いますね。

 

肉体と精神のように、異なるチャンネルが実在しているように見えている、そのメカニズムを解き明かしたいですね。

 

端的に言うと、脳科学ですね。脳には肉体と精神を連結するハブ機能があるのはおそらく間違いなさそうなので、どのような「ハブっぷり」なのかを、突き止めるのは面白そうです。

 

その構造がわかったら、「精神第2チャンネル」みたいな情報を脳に端末差して入力すれば、「第1チャンネル(ナチュラル)では鬱だけど、第2チャンネルでは穏やかな春風を感じている」みたいな、混乱しそうな、ヒーリング効果が期待できそうな、新しい技術が開かれるかもしれません。

 

これは将来ありそうだなぁ。