さっき、パンサーの尾形さんが出ているNHKの「笑わない数学」を父親が観ていたのでチラリと見ました。
テーマは「微分・積分」で、私も高校数学で触れたことがあるのですが、
なんとな~く、概要は知っていて、「あーそうなんだな」と再確認できました。
私が気に入らないのは「極限」の部分で、
ゼロじゃない極小のものをゴミ箱に捨てて「無いね!」という力業に、違和感を感じます。
実際には、極限は「数学的に厳密に定義されている」ようですけど、
なんか大学数学でも上級レベルのようだし、番組では詳細は解説していなかったので「ふぅん~よくわからないな」と思いました。
私は小学校低学年のとき算数は好きだったのですが、途中から国語の方が好きになっていました。
算数とか数学好きな人って「必ず解がある」という安心感と、「解けたときの感動」が素晴らしいってよく言うんですけど(私の姉や父もその類いですね)、
私は、「いや、最初から解けるような箱を仕組んでるんだから解けて当たり前じゃん」という、意見の相違があります。
国語の魅力について書くと、
例えば「登場人物の心情を述べよ」とかいう問題って、正解がひとつじゃないので、
自分で「好きな正解を選んで」回答できるという自由さがあります。
服屋さんで、自分の好きな服を選んで「これだ!」って決めて、買って「うふふ♪」となるのと同じですね。
もちろん、自分の妄想に基づいて、「これだ!」と思った回答が、採点者から不正解とみなされるケースもあるんですけど、
それに対して、「いや、これが不正解だっていうこと証明できんのかよ?できねえだろう?可能性が薄くても、「ありえない」とは言えないんだからよう!」
という強気な態度も取れます。
もちろん、小学生のときに、こんな態度は取らなかったですけど、
大人になったら「こちとら全ての可能性まで手を広げて」「理路もインストールしてるんだからよ」
「簡単に否定できるような、風が吹いて飛ぶようなヤワな構造じゃねえぞ」
というガチ勢になるという・・・
数学ガチ勢は、どんどんどんどん複雑化していきますね。
ハウルの城みたいになってって、
箱がパンパンにならなければいいですけど。
つまるところ「どうしてそれをやるの?」「たのしいから」
という、純粋なところに行き着くのかもしれません。
「楽しいだけじゃだめなのよ~」
という声が聞こえたような気がします。
了。
おわり