【徒然日記】違う違うそうじゃ、そうじゃない

日本存続(少子化問題への受け)の目的のために、前回私が挙げたメソッドは、

 

「この期に及んで、民間企業の生産性向上へ舵を取らないような、不適合者からは、迅速・確実に所有する裁量権を剥奪し、ヒラ社員からリスタートさせるべし」

 

というものでした。

 

これは風の噂で、「全然ダメ」という評価を頂きました。

 

まぁ、総合的な視点で見て「良い案・上手くいく案」があるなら、「とっくにやっておるわ」「現在進行形で、最善はやっておるわ」の世界だと思うので、

 

私の「不適合会社を」「どんどん潰す」ようなスクラップ案は、雑で、強引すぎるような印象を与えるのは、あるだろうなと思います。

 

ただ、評価というのは、「どの視点」に立ってやるかによって、変わってくるし、180度違うということもザラにあるので、

 

例えば、親が「門限18時な!」と総合的に判断したかといって、

 

「子である自分が」「いや、夜のマックでの友人とのダベりは、自分の人生にとって重要なことだ」「そうしたいんだ」

 

という判断が「もしあるのであれば」、

 

門限破りも、子視点では、妥当であるという事実も確固として存在するのです。

 

つまり、「自分の保護者が」「どういう都合を押しつけようとも」

 

「自分は」「こうしたいんだ」という、背筋を伸ばした、まっとうな意見・こだわりがあるのであれば、

 

それをがんばって通すのが、もっともベターになると思っています。

 

逆にそれをしないのであれば、

 

「本当は自分はこうあって欲しいのに」「親が言うから、できなかった」

 

「親の言う通りに従って生きてきたけど」

「実際、後になって冷静に考えてみると、ものすごいもったいない時間の過ごし方をしていたと感じる」

「これは、ぜんぶ親のせいだ」「親ガチャが悪かった」

「あいつらのせいで、自分の人生が台無しにされた」

 

みたいなことが、往々にして起こることになります。

 

だから、私は、

 

「自分がそうしたいのであれば」「きっちり戦えよ」

 

「戦わないのであれば」「自分のこだわり、理想、願いは」

 

「あなたの手によって、ゴミ箱行きになる運命になりますよ」

 

ということを言っているのです。

 

戦う姿勢のない国家が、国際社会で見捨てられる(侵略戦争にあってもサポートしてくれない)現象も、似たようなメカニズムです。

 

だから、私は自分の案が、そんなにズレているとは思いません。

 

ロスの大きい、下手くそな案であることはありえるなぁとは思いますが、

 

大事なことは、

 

「自分がどうしたいのか」「日本がどのように在ってほしいのか」

 

それをキチンと見定めて(その答えは自分の中にしかありません)、

 

その真の願望に沿った形で、当然やるべき行動を、「実際にやる」

 

ことだと思います。

 

ここまで言っても、「いや、だって、責任負うことになったらやばいから・・・」

 

と、物怖じするのであれば、

 

これ以上は私はもう何も言いませんが、

 

運命としては、

 

「周囲が炎上し始めて」「自分のお尻に火がついてきて初めて」「焦って逃げて」・・・

 

といったようなフローになるでしょうね。

 

日本はよく「外圧にさらされないと変われない」と言われますが、

 

それをそろそろ卒業するっていうルート・可能性も、消さないでほしいなぁと思います。

 

おわり