感謝を忘れない

色々な他力によって今の私の生活は成り立ってますが、やっぱりそれを認識すると感謝の気持ちが湧いてきます。

 

「お米を作ってくれてありがとう」

 

「インターネットを整備してくれてありがとう」

 

「水を飲ませてくれてありがとう」

 

「犯罪を取り締まってくれてありがとう」

 

こうして見ると、私も何か役に立ちたい!と思うのですが、やっぱり一番効率の良い、費用対効果がでかい急所に、労力をぶち込む、という発想になりがちです。

 

それはどこかというと、やっぱり教育なんですよね。だったら教師になればいいじゃん、とも思うのですが、今の義務教育とか、高等教育の枠の中で、やりたいことはあんまりなくて、どっちかというと人間の精神改造的なマッドなやり方でいきたいので、

 

もし教育の現場でアクションを起こすならば、既存の教育を壊すところから始めないといけない、それってしんどいし私にとっても社会にとってもリスク大きいな、としり込みしちゃいます。

 

正社員にあんまりなりたくないのも、派遣じゃなくてもし正社員となったら、会社のやり方が気に入らなくてまず経営陣をどうにかしてクビにすることから始めよう、となります。それが最善手ならそれをやる以外選択肢ないですから。やり方が気に入ったら、いいんですけど、なかなかそういう会社は巡り合えなさそうです。

 

そういう状況なので、ブログで情報発信するのはそこそこ費用対効果でかいし、誰にとってもリスクないし(読んだ人が危険思想だと思ったら捨てればいいだけですから)平和だなぁと思います。

 

一番現実的なのは、自分の行動による成果に、自ら上限を設ける、ということですね。

 

例えば、プログラマーになって、納期通りに良い品質の製品を納めて、顧客から感謝される、そして製品のユーザーも嬉しい、みたいな一種の「妥協」。

 

できることをやって(まだプログラミングできないですが)、そこそこの成果を得て、社会貢献して、生きていく、それがまっとうな生き方だと思います。

 

なぜそれができないのか。妥協が怖いからですね。

 

自ら可能性を閉じること、これが一番怖い・・・自殺と等しいと思います。

 

これをやるくらいならば、最初から生きるべきではない、くらいに思っています。

 

なんなんでしょうね、このくだらないような、大事なような変なこだわりは。

 

まだまだ未熟ということでしょうね。