安心するには

私は不安があんまり気にならないですが、私を含めて人間は不安を減らして安心を増やすことしかできないので、その方法を考えてみます。

 

といっても、これは不安が嫌な人の方がよく知ってることだと思うので、私にできるかどうか自信がありません。

 

不安を減らすには、不安の元を潰すやり方と、不安を感じるルートを潰すやり方があると思います。不安の元が潰せるなら多分苦労はないので、不安を感じるルートを潰すやり方を考えます。

 

基本的には、嫌なものは見ない、意識しない、ということですね。不快な音がするなら耳を塞ごう、「不安になるからウクライナのニュースを見ない選択も考えましょう」とクイズ王の人がゆってたそうですが、クイズ王らしい合理的な判断ですね。

 

でも、嫌なものを見ないようにしても、嫌でも目に入ってくることってありますよね。そういう場合はどうするんでしょうか。例えば、会話中に嫌な人がいて、雰囲気が悪くなったときとか。

 

そういうとき、場の雰囲気を取り戻すために、わざとバカっぽい冗談を言ったりとか、嫌な人にお世辞を言って機嫌を良くさせるとか、そういうフォローができる人はコミュ力があるということだと思います。

 

私はコミュ力があまりないので、そういうスキルを羨ましいなぁと感じます。そもそも社会で出世するにはコミュ力ないとできないから、必要にかられてスキルを磨いたんだよ!という人もいるかもしれません。環境が人を育てるということですね。

 

嫌なものから目を逸らす方法としては、他の楽しいことに注意を向ける、という方法もありますね。

 

一緒にいる人と共感して、楽しかったら、楽しさ倍増になって、嫌なものの存在自体が意識から消える、ということがあるかもしれません。

 

私は、不安がある状態が常なので、こういう気分がハイな状態が経験ないかもしれません。今は、不安は小さいですが、理性がかなり安定しているので、不安があってもいいや、と思って放置しています。

 

不安がどんだけ増してもファイティングポーズを取れるように自分を設計したためですが、それと引き換えに、日常的に不安と安心のせめぎあいをコントロールしている人の見ている世界がわからない、という弊害を生んでいます。

 

やっぱり独りじゃ、できないことってあるんですね。分業・・・それを突き詰めないといけないですね。違うもの同士が協力できたら、けっこう強いと思います。