A diary 11/9

パレスチナ地方も大変だけど、ウクライナのことも気がかりです。

 

なんか、バイデン大統領とか(彼だけではないですけど)が「もうしんどくて軍事支援細らせたいから手を引こうかな~」みたいなアクションをすると、

 

「あっじゃあわたしももうウクライナはもうフォローはずそう」みたいに流される人がもしいたら、ちょっと立ち止まって欲しいと思います。

 

考えなくていいから、とりあえず立ち止まって欲しい。

 

そうやって、やっている、自分を部屋の天井くらいからの視点から眺めて欲しい。

 

これも一般的には「考える」なんですけど、これができると、強いです。

 

皆さんの情報周りの関心事は「事実に即した正しい知識を集めて」「正しい考え方で」「精度高く正しい判断をする」ことだと思います。

 

そうすれば、簡単に言えば「愚かな行為をして、自分が損したり、誰かさんから咎められたりすることはない」からです。

 

つまり、利がある。

 

利がないと、心が窒息して、苦しくなってしまう。だから利を得なくてはいけない。「生きるために」。

 

それはそれでいいのですが、もし、そのやり方で「上手くいっていない」「どうせ自分はダメな奴だから失敗する」「将来が不安だ」などと思っている人だけに提案しますが、以下の私の考え方を聞いて、よかったら参考にして欲しいです。

 

まず、「生きるために」→「利がないといけないから」→「利にすぐ手を伸ばす」

 

というプロセスを「固定観念」として、上記のようなプロセスを無意識に・自動化して、「あんまり考えないで」→「行動に移す」という人はめちゃくちゃ多いです。

 

この処理を上手に使いこなすと、行動が洗練される、職場では「キビキビ動く」ことが可能になり、いわゆる「有能」になれます。収入も上がります。

 

なので、すでに「有能」な方は、今のままでいいでしょう。「良い旅を」という言葉をかけたいと思います。

 

ただ、そのやり方で、もしも上手くいっていないのならば、それを「違う方法で」打開するという発想があっても良いと思います。

 

それは固定観念で自動化されたプロセスを、「手動で」一歩一歩、丁寧に確実にやる、ということです。

 

私はこの手法を用いています。

 

コンピューターの歴史に詳しい人はピンとくるかもしれませんが、メモリの使い方の違いで、昔の古いコンピューターは、この「一歩一歩やる」というやり方を採用しています。

 

これをやってどうなったかというと「仕事があまりできない」「行動力がない」ニートになりました。以前は派遣社員やパートなどで働いていましたが、今は「親の金で」生活しています。

 

つまり、私も下手なのです。「無能」カテゴリに入りますね。ただ、すごく仕事ができる人と比較したら、確かに見劣りしますが、ある程度「普通に」「給料に見合った最低限の」仕事はできると自分では思っているので、その辺は安心してください。

 

私は、「高速自動処理」じゃなくてよかったなぁと思っています。

 

なぜか。それは「一歩一歩進む」という一見遅い、愚鈍なやり方であっても、キラリと光る長所があるからです。

 

それが「公平なジャッジ能力」です。

 

「利を追うのが当たり前だから」→「当然こうするでしょ」

 

ではなく

 

一旦、立ち止まって

 

その前に「それってどうなんだろう」という手順を加えます。

 

例えば、あなたが、「職場の同僚がムカつくから、悪い噂社内に広めてやろうか」と思ったとします。

 

同僚がみんなから嫌われたら、ムカつく同僚は傷付くだろうし、昇進にも響くでしょう。そうなれば、確実に「スカっと」します。あなたに利があります。

 

ここで、行動に移す前に、一旦立ち止まってみてください。

 

立ち止まると、イライラが続いて、不快ですが、とりあえず、温かいコーヒーでも飲んで、「サボって」みましょう。

 

立ち止まることができたら、次に自分を天井くらいの高さから「ジャッジ」してみてください。

 

「そういうことをする自分ってどうなんだろう」

 

あなたがあなたを見るのです。

 

町で可愛い人を見たら「ほっこり」することはできるでしょう。相手から、ポジティブな「印象」を受けるからです。

 

天井から自分を見てみて、自分を見て、印象を受けてください。自己肯定するかもしれないし、自己否定するかもしれない、それはともかく、その「自分を見て印象を受ける」ことが重要です。

 

これが「ジャッジ」です。

 

ジャッジは、頭の良さは、あまり関係がありません。理論なんていりません。

 

人によっては「今自分がしようとしていることは、刑法に抵触するから、それは人として間違っている。だから止めよう」

 

というように、理詰めで、ジャッジする人もいます。それはそれでいいでしょう。

 

しかし、それはしんどいので、簡単な方法があります。本心でジャッジするのです。

 

あなたが一時、「ムカついたから加害してやろう」という気持ちを持つことは、あってもいいし、そういう気持ちもあるでしょう。

 

しかし、それは本心からでしょうか。

 

本心から、加害し、加害され、殺し、殺され、跡地には腐乱臭のする屍が残るのみ。

 

本心からそういう世界に生きていたいと思いますか?

 

私は、そういう問いかけを、「まさにその時」「めっちゃ正確に」「確実に」「念をおして」自分に問いかけています。

 

このブログを書いているときも、リアルタイムで、どういう言葉を選ぶか、とか、そういうまさに現在進行形で、ジャッジしながら書いています。

 

この自分の本心への問いかけによって「本当の気持ち」を確定させます。

 

「本心」が確定したら、それを以て、自分自身を天井から見て、「ジャッジ」します。

 

「本心から、イスラエル人をテロで殺したい」

 

それならそれがいいでしょう。殺すのがあなたにとって最善です。もし「本当にそうならば」という条件が付きますが。

 

ハマスが最善を尽くすならば、イスラエルも敬意を払い、最善で応えるでしょう。そういう戦争なら、「アリ」です。相手が最善を尽くしてくれることを信用して、ぶつかり合いましょう。

 

なんか、また時事的なことに繋がっていますが、これは今日の趣旨ではないので、止めておきます。(←ここでも私の本心からのジャッジが働いています)(←これもです)

 

このジャッジ能力を高めると、自分に「芯」ができます。

 

ブレません。それは、必ずしも頑固というわけではありません。しなやかな芯もあります。もし私の印象が「頑固」ならば、私は「あちゃあ」と思います。

 

自分に芯があれば、「悪意を持って愚民を欺し、扇動しようとする勢力」に対しても、「惑わされない」「常に確信を持っている」という状態になります。

 

再度言いますが、「芯」とは「強固な理論武装」ではありません。

 

「芯」とは「本心」「本当の望み」あるいは「魂」です。

 

このジャッジを生きている間、現在進行形でやる習慣がつくと、そのジャッジ自体が高速化、低負荷化していきます。これは技術の洗練ですね。

 

ジャッジの洗練によって実現するのが「強い魂」です。

 

せっかくの人生、理屈や欲だけでなく、魂で生き抜いてみるのも、楽しいですよ。少なくとも私にとっては、この道が最も楽しく、今も楽しいです。

 

ただ、ひとつ注意があって、この強い魂を作り上げることは、現時点でメジャーではありません。そして、それは義務でもありません。卑しい魂でも大いにけっこう。

 

なので、簡単に言うと、これをやると「世間とズレる」ことになります。

 

そうなると、「他者との共感」による幸せが、遠のくかも知れません。

 

しかし、もしあなたが「幸せなんて今ないよ」「だれも共感してくれない」「疎外感がある」「自分を肯定できない」と苦しんでいるのならば、懸念はありません。

 

ぜひ、あなただけのオリジナルの「魂」を磨く旅に出てみませんか?という提案でした。

 

うん、長いこと書きましたが、いいこと書けた気がします。嬉しいです。