A diary 11/6

ツイッター(X)で格言ぽい言葉をこの前見て、それは「人間は欲を満たすことを最も重要視する存在だ」みたいな趣旨の言葉でした。(実際には違う文言でしたが正確に思い出せないです)

 

よく、「人間の欲望は無限大」というけれど、それは「自分の本心が求めていないものを追うから切りが無い」だけであって、普通に欲望が満たされればお腹いっぱいになります。

 

お腹いっぱいになれば、基本的にやることはないので、他の欠落している部分を埋めたり、他の人が困って助けを求めていたら助けたり、するくらいですね。

 

この世が苦しみの方が多いのは、おそらくその幸せお腹いっぱい状態じゃ客観的に見て「しょうもない」からでしょう。

 

苦しみを与える、というよりも、課題という重い荷物を持たせて(負荷をかけて)、「どのくらいへばるのか」とか「こいつは諦めるのかそうじゃないのか」とか「どのように立ち向かっていくのか」とか「こいつの本質的な欲はなんなのか」とか色々わかって価値があるんでしょう。

 

あとは、人ひとりの欲を満たすのにも、手間と犠牲がかかるし。

 

「愛」のように「奇跡の源泉」からお湯があふれ出ているのであれば、それをシャンパングラスタワーのように分配して与えたり与えられたりすればいいのですが、

 

人間の精神にとって大元の源泉である「愛」が、枯渇している状態では、「おれにわたしに与えろ与えろ!」「奪ってやる!」「殺せ!」みたいな感じになるのでしょう。

 

与えて欲しいのは誰だってそうだと思いますが、先ほど述べたように、人間の欲望なんて子供用プール並みに浅いですから、自分で努力するなりライフスタイルを工夫するなりして必要最低限満たしていくことは無理ではないと思います。

 

「自分が感じる欲望の衝動」と「本心が欲しているもの」は違うということを、実体験から理解できると、欲望が有限であるなぁと思うと思います。

 

ただ、欲しくも無いものを欲しいと勘違いして一生懸命血眼で追いかけるのも、人によってはそれが楽しいんだと思うかもしれません。

 

私は運用資本が自分の身体ひとつなので、あんまり徒労は嫌だなぁと思っていますが、欲との付き合い方についてはどういう考えをしても自由だと思います。