ロシアの思惑

ロシアがウクライナを10万人以上の兵で包囲している、というニュースについて。

 

私が一番気になるのは、ロシアの立場で、ロシアがなぜそれをしなければならなかったのかということです。これは「ロシアにおける制限事項とはなにか?」という問題であると換言できます。

 

私の最近の日記では戦争が起こる必要十分条件は「国益を追求する強い欲望」と「相手国への不信感」と書きました。さらに数年前の日記によると、争いが起こるには「欲の肯定」と「特殊な前提条件」があると書いてありました。

 

この二つはどっちも使えるのですが、「欲の肯定」と「特殊な前提条件」の方が、汎用性が高いですね、汎用性が高い分、「特殊な前提条件」はガバガバな容器ですが。

 

さて、ロシアが「肯定している欲」とは、なんでしょうか。国の繁栄でしょうか。ロシアは経済が弱いらしいので、今より豊かになりたい!と思っているのは確かです。

 

そして、ロシアの中の「特殊な前提条件」ですが、ロシアの場合、プーチンさんが旧ソ連体制に未練を感じている、というニュース記事を読んだことがあります。

 

これを信じるとすると、「ソ連時代の方法論への依存」という特殊な前提条件があるように思います。そこには「新しい時代だから、各国と協調しよう!」という発想はないんですね。

 

具体的にソ連がどのような方法論を用いていたのかはよく知りませんが、国内を厳しく統制して、対外的には軍事力で領土拡大していこうという発想でしょうか。あるいは、ナチスドイツのような歴史上の国家像を、現代でも存在しうる仮想敵国として設定しているのかもしれません。

 

ある手段を用いて、一時成功した、そしてそのうちに継続的に成功できなくなった場合について。余裕のある人は、大局を観て、目的・手段の見直しをする選択肢を選ぶことができますが、余裕がない人は、「手段に依存する」という現象がよく起こります。ロシアは余裕がないようなので、この型に嵌っている可能性は高いと思います。

 

「手段に依存した人」は糸の切れた凧のように、しばらく漂い、そして地に落ちます。ロシアは、ソ連時代の方法論に縛られてる、糸の切れた凧のように見えます。漂い、地に落ちる過程において、周辺国を巻き添えにするでしょう。

 

そして、今、ロシアがなかなか兵が退かない、どういうつもりなんだ?と色々憶測したくなりますが、すでにロシアは、本当の意味で、自国をコントロール下に置けていない可能性があります。

 

プーチンさんは自由意志で動いているつもりかもしれませんが、その自由意志は「ソ連の方法論」の鎖でがっちり固定されている。目下の状況変化のインプットを受けて、それをどのようにデータ処理するか、のアルゴリズムがすでに決定しているわけです。

 

ここまでを踏まえた上で、NATO陣営は自分達の意志を世界に通したいと思うなら、やらなければいけないことがあります。

 

それは、この「ソ連時代の方法論に支配されている固まったロシア」を、世界の枠組みの中で、どのようなポジションを与えるのか、ということです。

 

「それをするのは我々ではない、神様の仕事だ」という意見があるかもしれませんが、それを人間が能力的にできないことはないので、NATOがやっても何も問題ありませんし、そうやって運命を切り開いていかないと、悲惨な運命を甘んじて受けることになります。

 

ソ連時代の方法論に支配されている固まったロシア」この糸の切れた凧と、外交によって行うコミュニケーションとは、「どうすればロシアは兵を退くのか?」という問いではなく、「ロシアのソ連からの卒業、その後のビジョンを共有して、共に進もう」というメッセージです。

 

糸の切れた凧を捕まえて、また糸を繋ぐオペをするのが、もっとも難易度が高く、利益の大きいミッションであると思います。