社会保障~医療費問題

2025年に団塊の世代の平均が75歳になり、医療の社会保障費が増大するという問題を目にしました。

 

「食」「歩行」「睡眠」のうち、年を取ると何らかの理由でこれらが不全になってきて、加速度的に老衰が進むという話を聞きます。

 

私の父も今年で74歳で、関節リウマチによる運動不足から、足腰が大分弱っているようです。食と睡眠に関しては、それほどでもないので、老衰に1歩進んでいるくらいの状態です。

 

老衰して、何かの大病を患っているひとは、普通ならもう寿命が近いということでしょう。医療技術が発達して、生き延びさせる手段があって、それがあるなら適用すべしという医学の使命と、倫理的な判断があって、治療を施している状態だと思います。

 

私としては、個人が、「どの年齢まで生きたいのか」について希望を表明すべきだと思います。希望の年齢を超えた後に、病気になっても、基本的に治療はしないのが良いと思います。それは寿命です。

 

長生きさせたって、120歳くらいまででしょう。全員が120歳まで生きのびさせる費用は誰も出せないです。経済的に無理なんですね。

 

経済的に無理なことはできない、というのは当たり前のことで、100万円しかもってない人は、200万円の車は買えない、と同じルールを医療にも適用するという普通のことです。

 

以前の日記で、「投薬でスローな安楽死をする技術を開発するのが良い」と書きましたが、今も私はそれを推しています。

 

まず個人が例えば「70歳まで生きたい」という希望を出して、65歳くらいになったら、「5年後に死ぬように毒を投薬する」という手順です。

 

現在のように、年金暮らしをスタートした時点で2000万円の貯金が必要、とか、一部の人しか達成できないノルマを提示している状況で、一番求められているのは、「寿命を予定することによるライフサイクルコストの制御」だと思います。

 

年金を夫婦で年150万円もらえる人は、65歳以降、毎年貯金の切り崩しが150万円くらい発生するわけでしょう。80歳時点までに、2250万円貯金が切り崩されるわけですから、その分の貯金がないと、80歳は無理です。

 

だからこそ、例えば「75歳まで生きる」と決めておけば、退職時に1500万円の預金があれば、貯金がスッカラカンになると同時に死ぬ、ということが実現します。

 

上記の利点はおまけみたいなもんで、最大のメリットは65歳時点と言わず、何なら若者の時点で、「退職時に1500万円貯金があればいいんだな、それを目標にがんばろう」と明確な計画が立てられるということです。

 

これはでかいですよ。「貯金の切り崩し」と「長寿」のチキンレースをしないで済みます。このチキンレース本当にしょうもないですね。

 

私は父に早めに亡くなってほしいとは思いませんが、ヨボヨボになって長生きしてもしゃあないと思うし、死ぬまでにやりたいこと、やるべきだと思っていることを全部済ませてあるのか、というのが最も大事だと思います。本人が死ぬときに満足できているのなら、死期はいつでもいいでしょう。

 

ちなみに私は50歳で脳梗塞心筋梗塞で死ぬと都合いいなぁと思っています。長生きするとお金がかかるし、能力も落ちますのでね。

 

今、数学やっているので、プログラミング覚えて、AIを解読して、ある程度成果が得られたら、もう死んで人間終わりにしようと思います。

 

こういうこと言ってるやつが90歳まで生きたりして・・・タバコ吸ってるからそれはないか。