お魚大作戦

理性と感情を物質に喩えると、理性は「固体」、感情は「液体」のようだな、と思います。

 

理性優位の意思決定をする人は「陸上生物」、感情優位の意思決定をする人は「海中生物」と喩えてもいいかもしれません。

 

私は、感情が弱いので、水中で泳ぐのは苦手です。海に出ると、脱力してプカプカ浮くことしかできません。

 

しかし、世の中には海の中をスイスイ泳ぐことができる人が多数いるようです。その人たちの生存戦略のひとつに「お魚大作戦」(私がネーミングしました)があります。

 

大群のイワシが、芸術的にも見える造形の変化をブワーッ!として、天敵の魚の攻撃をかわす様子をテレビで見たことがあります。

 

「1匹は弱くても、大群となれば威を持つことができる」これは、小学校の国語で扱った「スイミー」の戦術ですね。

 

そして、「大群を作り、それぞれが安全な位置を取ろうと競争をして、泳ぎの下手な敗者が天敵に喰われる」

 

これは、日本社会でよくみられるなぁと思います。一部の仲間を積極的に犠牲にして、大勢の安心を確保する。日本だけでなく、諸外国にも見られると思いますが、「陸上生物らしさ」「海中生物らしさ」の物差しで測ると、日本は「海中生物らしさ」に特に偏ってるな、と感じます。

 

自分が、海中で生きているなら、海中生物らしくあればいいし、陸上で生きていれば、陸上生物らしく生きればいいのだと思います。

 

お魚は、そもそも卵の時から、半数以上死ぬのが当たり前、頭数をめっちゃ増やしてマイナス面を補おう、凌駕しよう、という戦略です。

 

日本社会も、頭数を増やせばOKという環境ならば、このお魚大作戦も通用するのですが、今は急激な少子化のため(子供が少ないという事実があるため、ではなく、子供が減る問題に直面しているため)、陸上生物としての生き方を探るのがひとつのアイディアとしてあるかな、と思います。

 

そして世界を見やると、75億人?くらい頭数があるそうで。地球の資源が限られているのを考慮すると、多すぎじゃない?もうちょっと減った方がいいんじゃない?という発想になります。

 

海中生物らしさ、陸上生物らしさ、それぞれのバランスを整えていく志向が、未来的に建設的な方向だと思います。

 

今まで、海中で生きてきた魚に、急に「陸に上がって」と言ってもいきなりは無理な話なのでゆっくりでもいいんですが、世界は海だけじゃないよ、陸上もあるし、空もあるんだよ、ということを知っておいてほしいです。

 

海がだめなら陸がある、そういう選択肢を持っていれば、生き残れる人は増えるだろうな、と思います。