選挙などの手段を用いて政策を決定する民主主義は、最小単位が「一人の人間」ですが、
私が考える民主主義ミクロバージョンは、もっと小さいとこまで言及しています。これは、一人の人間の内部も、民主主義的な構造になっているということを意味しています。
一般的に、完全な悪人も、完全な善人もいないと言われますが、自分の中に色んなカラーの感情が混ざっているのが普通の状態だと言えると思います。
それぞれ、ひっくるめて、「あなた議会」であり、その「あなた議会」が決定して、参議院選挙に誰に投票しようか、とかの行動に繋がっているとみなすのが、オシャレだと思います。(オシャレ?)
ということなので、日本の政治にあれこれ思いを馳せるのもいいけれど、はっきりいって大体が無力(なるようになるしかない)なので、それぞれの人が力をつける必要があります。そのための民主主義ミクロバージョンです。
やるべきことは、自分の感情のひとかけら残さず、きちんと統制するってことですね。
理性の俯瞰だけでは、感情は理解しきれないので、「感じて、確認して、きちんと対峙する」という姿勢が好ましいです。
どうしようもないイライラが突然やってきたとしても、すぐに「あいつのせいだ、ふざけんな!」とせずに、「おぉ、イライラしてきたなぁ」と立ち止まって確認するだけで、その「イライラくん」に選挙権を与えることになります。
「イライラくん」を登用して、あなたの意思決定権を握らせることも可能ですが、「イライラくん」はそれほど優遇するに値する程なの?と見定めると良いと思います。
もしあなたがリアルの国の大統領だとして、民衆が武器持って集団でデモ活動をしていたら、どう思うでしょうか。「こいつらの真価を測ろう」と思うのではないでしょうか。
なぜなら、ただのならず者集団であるならば、許容すれば国が混乱するのは明らかだし、かといって何も調べずに、無視や、武力で弾圧したりすると間接的に国益を損なう恐れもあるからです。
それと同じ構図が「あなた議会」の中にも存在していて、メンバーとなっている感情たちをそれぞれよく把握する必要があります。
私の場合は、感情に乏しいので、自分で言っておいてどうすればいいのかよくわからないのですが、とりあえず、どんな小さな感情も、確認して、選挙権を与えようと思います。
ある感情に選挙権を与えても、結果、意思決定には反映されなかった、ということはあり得ますが、その細かい配慮は、必ずアウトプットの精度を上げると確信しています。
私の感情の第一党は、やさしくしてほしいという感情で、この感情が、平和を望んでいます。あとは、なんでしょうね、破壊願望とか、嫉妬とか、色々小さい政党があります。
それらを確認して、対峙して、どれを引き立て、どれをあきらめるか、その政治手腕を人間全員ひとりひとりが身に付けていく、それによってマクロ世界における国の安定が叶うと確信しています。
こういう説明を、小学校のときに教えた方がいいと思うんですよね。