民主主義と独裁主義

ある思想家さんのツイッターを見て、「民主主義は、独裁政治に走ろうとする権力者を市民がコントロールする目的のために誕生したものだ」という内容の文章を見て、なるほどそうなのか~だから民主主義国家は独裁国家を敵視するんだな、と納得しました。

 

独裁をすべきか、又は、独裁者を無力化するべきか、に関しては、考え方の違いなので、どっちが正しいとかいうものではないと思います。

 

私は独裁でも民主主義でも結果が出せればどっちでもいいし、社会システムなんて人間が生活する家屋の内装くらいにしか思っていないです。どういう内装だと快適か、とかそういう嗜好のレベルの話なので、それで争うのはやはりナンセンスだと思います。

 

コーヒーと緑茶どっちが好きか?で争うことがナンセンスだということはおそらくほとんどの人が同意すると思います。しかし、民主主義を確立するために、しばしば独裁政権との血みどろの闘いが発生するので、嗜好バトルであっても、対象がめっちゃ高価なものになると、自然に「殺し合いしよーぜ」と躊躇しない態度になりがちなんだなぁ、と解釈しました。

 

実際に権力を得たり奪ったりしていない私からすると、民主主義的な独裁が好きです。これは内装の快適さ、もあるんですが、機能性重視の視点で言っています。それに最も近いのが中国なので、中国を応援したいと思います。(機能するなら純粋な独裁でも、純粋な民主主義でも、どちらでもいいですが)

 

で、私の好きな形に中国が最も近いといっても、現時点の中国はウイグル弾圧など、手探りで未発達な手段を用いていることは確かです。簡単に言うと未熟ということですね。

 

で、未熟なのは良い結果を出さないからダメ、というのはごもっともなんですが、

 

階段を上る行動のうち、重要な点は「どの階段ルートを進むか」の方向性の問題であって、「今どのくらい高く階段を昇れているか」の進行度はあまり重視しません。

 

正しいルートを行っているならば、別に0段目でも1段目でも、100段目でも、あんまり変わりません。今0段目の人も、1段目の人も、100段目の人も、時間が経てばもれなくゴール(正確には中間ゴール地点)に到達することがほぼ確定するからです。

 

問題なのは、「袋小路に続く階段を無意識的に選んで、進行度(速く進むこと)を重視する」ことです。これをやると「壁激突大ダメージ」がほぼ確定するので、避けた方がいいです。

 

しかし、世の中や歴史を見てみると、これを積極的に選んでいる国や人が多いですね。上記の、私が示した「階段ルートメカニズム」と、歴史を併せて参照すれば、この問題に気づくことは簡単なんですが、それを不要な情報だと思って追跡しない、捨てる、ということをやっているケースが多いんだと思います。

 

イーロンマスクさんのように、「引き返す予定を組み込んだ上で」積極的にイノベーションの袋小路に突っ込んで、確かめようという行動ならアリですが、本気で袋小路に突っ込むのは自爆以外の何物でもありません。

 

よって、私が言うのは「もし袋小路に集団でいくならゆっくりいこう(激突ダメージを抑えるため)」もしくは「一番確実な中間ゴールを目指そう」です。

 

で、この中間ゴールというのが独裁制民主主義ですね。アメリカもこれを目指すのが良いと思います。ただ、アメリカ人は束縛による不自由を過度に嫌うので、そういう意味で、理想形に「今」一番近いのは中国ですね。

 

そんで中国も、何を目指しているのかわからないし大国で小回りが利かないので、ルートを外れないように小さい周辺国がガイドする必要があります。

 

そういう役割を日本が担う、というのが良いと思います。私は日本人なので、今それをこの日記に書いています。

 

アメリカは、この世には独裁したい人がたくさんいることを認めて、その人の気持ちもちゃんと考慮して欲しいです。

 

独裁は「下手かますとひどいことになる」ものですが、未来には「上手な独裁」も存在します。だから、独裁したい人が「上手な独裁」ができるようにする、という道もありますと言いたいです。

 

その道を行くと決めたら、「現状があまりにも発展途上すぎて」嫌んなる、未熟な自分を認めたくない、とかいう発想があるんだと思いますが、

 

私はそれが「中間ゴールに達する」道であると知っているので、未熟でも「勝ったな、安心だ」となります。

 

繰り返しますが、問題は、「袋小路に向かって爆走すること」です。それを避けるには「ゆっくり行く」、「引き返す予定を組み込む」、「確実な道を選び直す」です。

 

よろしくお願いします。