私の欠点

私の欠点は、意思決定に感情を入れないというところです。これは自分をロボット的に見たときは長所になるのですが、人としては欠点です。

 

人間は人との繋がりで社会や大小コミュニティを形作る生物で、その際に共感能力というのが重要になってくるようです。共感とは、感情を俯瞰して理解することではなく、「まさに今、相手と同じように感じる」ということなので、感情をあまり見ていない私にとっては苦手分野です。

 

感情よりも、情報を得ようとか、意思決定に役立つ情報を得ようとか、そればっかり考えてるので、感情を子供に例えると、私の理性はネグレクト親のような感じです。

 

そういう頭でっかちなスタイルで生きていると、色々機能的な利点はあるのですが、たまにしんどくなります。ある独裁国が軍事費にお金使いすぎて国民が貧乏で困ってる感じと似ています。バランスが悪いんですね。

 

理性優先体制で、私の好き嫌いに関わらず、これはだめ、あれはだめ、とか色々制限が出てきます。それに従ってれば意思決定の間違いは無いので、これはひとつのフォームとしてアリなんですが、バランス悪いのを放置するのも成長(自分の変化)が無いと思い、ちょっと新しいフォームを取り入れてみました。

 

元々、歳取ったら、楽な方に流れてバランス取る予定だったので、10代の頃の私の計画通りの流れなんですが、新しいことをするのはちょっと怖いし、ドキドキします。

 

試しにやってみたことは「NOT合理的でNOT建設的な感情を許容する」というアクションです。これが俗に言う「愛」だと思うのですが、私はこれをびくびくしながらやっています。

 

というのも、子供の頃母親から愛され、かつ、母親からネガティブな感情を全力投球されて、まるで生きながら電車に轢かれてるような経験をしてきた私にとって、「愛」は怖いものです。

 

愛の包容力や安心感を知っているし、又、その愛に「欲望」という毒が混ざったときに、いかにその毒が効率よく体に浸透するかということも知っています。

 

なので、愛は素晴らしいけれど、毒の侵入を制御できない高リスクな存在だと思って、「愛は危険だ」という思い込みがあります。今は徐々にその思い込みは崩れてきていますが、まだ完全ではありません。これはトラウマってやつですね。

 

よく「自己肯定感を高めよう!」みたいなフレーズを聞きますが、「NOT合理的、NOT建設的」を肯定すると、自己肯定感が高まりますね。力みが無くなって、今の自分の状況が悪くないように思えて、一言で言うと「安楽」です。

 

私が安楽になれば、周りの人の気持ちが理解できて、楽しくコミュニケーションが取れるようになるでしょう。

 

でも、私元々自閉症傾向があって、10年前くらいにやった自閉症テストでは、ギリギリボーダーライン上で「自閉症」という結果が出てました。

 

コミュニケーションは生来苦手なんだな、と思ってるので、数学以上にゆっくり愛をかみしめていこうと思います。

 

世の中を見ると、愛とか、コミュニケーションとか、それこそが一番大事だ!みたいな感じで、自分より優れている人が大勢いるという劣等性はありますが、ある意味恵まれた環境でいいなぁと思います。

 

他人が全員自分より劣っている場合は、かなりきつい戦いを強いられますから絶望的でしょう。自分より優れてる人がいれば、その背中を見てノコノコ歩くだけだからラクチンで良いと思います。