実験場

研究における実験場は、期待した成果が上がるか、芳しくないデータしか出ない結果に終わるか、いずれの場合であっても、終了する時はきます。

 

宇宙と地球が実験場だと仮定すると、いずれは宇宙や地球はなくなる、ということになります。宇宙がなくなって困るのは、そこに住む生物たちです。

 

「まだやりたいことがあったのに・・・」

「幸せを知っているからそれを失いたくない」

 

みたいな感想を持つのは自然な事で、私もやりたいことをやらずに死ぬのは嫌だったので、「やりたいことをやりきるぞ!」と若い時は思って一生懸命になりました。

 

しかし、実験場は、プレイヤーが頑張ってファインプレーをしても、グダグダのプレーをしても、結局クローズするという運命です。

 

ひとつ重要なことは、実験場も世界の一部だということです。だから、「どうせ実験場だから全てがナンセンス」という判断をするのは早計です。

 

実験場であっても、それよりも広い人工でないリアル世界であっても、「考え方や、やるべきこと(戦略)」は変わらないと思った方が良いです。ただしよりミクロな戦術は、環境に対応したものでも構いません。

 

「環境が〇〇だから◇◇しよう、△△しないようにしよう」という戦略はNG

 

「周りの人が犯罪者だらけだから自分も犯罪しよう」

 

「自然災害ばっかり起こるから生きるのあきらめよう」

 

というのは、意思決定の分野においては、「なにも意思がない」のと同じことになってしまいます。ただし、その巨大なリスクを覚悟の上で、「周りの人や環境に流される」ことを選んでいるのであれば、OKです。ノーガードで命を賭す勇敢さを尊重します。

 

実験場であっても、そうじゃなくても、私たちは観られています。私は若い時は、「観られてないんじゃないか、神はネグレクトの親のようだ」という印象を持ち、その印象が正しいか確かめようとしましたが、どうやら私の勘違いだったようです。

 

世界が地獄であっても天国であっても、自分の戦略は、変わらないはずです。それを把握していないと、この宇宙という監獄を泳ぐことは困難になってきます。

 

逆に言うと、「どのような環境であっても通用する戦略が好ましい」という、比較的当たり前な結論になりますが、これは私個人としては、「逆方向的な表現」だと思っています。

 

順序的には、「自分が存在する」という事実をありのままに受け入れ、真摯に向き合い、それを基本に置き、戦略の樹を育む、という手順が正しいと思います。

 

実験場のノルマなんて軽くクリアして、やりたいことをやりましょうではありませんか。