A diary 8/27その④

暇だから日記ばっかり書いています。来月になれば30℃から下がると思うので散歩をたくさんしようと思います。

 

なぜこの世には苦しみがあるのかについて考えてみました。

 

苦しみと一言で言っても色々あります。ここでは「嫌に感じること」を指そうと思います。

 

自分の苦しみを取り除くために手っ取り早いのが、自分以外の他人に、それを解決する責任を押しつけることです。

 

自分が飢餓を乗り越え、飽食にありつくためには、多くの他人に仕事を担ってもらい、例えば収穫した農作物を、税のように徴収することでそれは達成されます。

 

一番末端の小作人は、最終的には、稲とか、土壌などの自然物に対して仕事の責任を押しつけます。

 

第2次産業や第3次産業では、責任の最終地点が、「自然」ではなく「立場の弱い人間」になるケースがあります。これにより人間同士の共食い、喰い合いが成立します。

 

この「他者に仕事の責任を押しつける」というのは、もしも本当に他人であったなら、自分と他人が区別される世界観を信じるならば、けっこう卑怯でひどいことです。

 

なぜこんな非道い、情けないことが世の中に蔓延っているかというと、自分も他人も実は一体であるという舞台裏の世界観が強く覆っているからでしょう。マッチポンプ方式です。

 

ただ、地球の人類の範囲で言うと、舞台裏では一体である、のはそうだと思いますが、ALLの範囲でいうと「ギャップ(断絶)が強すぎて一体化したくても十分にできない」というケースはあると思います。

 

その「ギャップがある、やばい他者」と、どのように一体化するか、というのが「存在する者」にとって大きなテーマになります。

 

先ほど、「地球の範囲では舞台裏では一体である」と書きましたが、これは不正確で、地球がなんか壁の中に作られた実験環境みたいなものだと私は前まで思っていたのですが、そんな壁とか隔離しての安全とかはなくて、地続きですべて本番環境である、そこに実験という世界観を複層的に重ねている、という解釈の方が正確のようです。

 

なので、地球人の苦しみとは、ALLが対峙している「ギャップがある、やばい他者」との一体化におけるALLの苦しみが分配されたものかもしれません。

 

地球人に求められているのは、

 

・苦しい状況に負けずに元気でいること

・ALLの苦しみを解決する責任を引き受けて、その仕事を遂行すること

 

だと私は思います。ただ、これは間違っている可能性もあるので、適当に聞き流してください。

 

なので、まとめると

 

・「他者に仕事の責任を押しつける」というのは「みんな一体」の前提ならOK

・「やばい他者」との対峙においては、苦しみを取り除く仕事の責任を負った方が良い

・どうしても無理なら「他者に仕事の責任を押しつける」も可だが、その委託先の他人を潰すのはただの暴力で断絶を生む自殺行為になる

 

って感じですね。

 

なので、ざっくり適当に捌くのであれば、「自分の苦しみは自分で解決できた方がいいね」ということになります。

 

結論部は、当たり前のようですが、その背景は多くの人にとってブラックボックス状態だと思うので、それに明かりを灯ってればいいなぁと思います。

 

この世界はややこしいんですよ。めちゃくちゃ重なってるんですもん。

 

大分前の私と比べて、今成長したと思う点は、地球は「100%の実験環境」ではなく、本番環境でもあることを知ったことですね。

 

本番環境だから、下手なこと、うかつなことはできなくなります。生きてるだけで、うかつなことはやっちゃってるんですけど。