娯楽性日記 8/5その②

私は、軋轢とか摩擦とか、トラブルとかが、「石同士の削りあいとか、海の波」のように感じている。

 

その前提として、「基本は、ゼロ。石は動かず鎮座しているのが基本で、海は凪が基本」みたいな考えを持っています。

 

正確には、「そのような考えを持ちやすい環境(地球上)に、素直に順応した」と言えます。

 

今も、この世界観「基本はゼロ」を持って生きてるのですが、どうやらこの常識、はローカルルールのようです。

 

基本はゼロ、確かにそれは、原理的にはそう見ることもできますが、実際にはゼロ以外の「有」も同時に存在しているでしょう。たぶん。

 

その「有」というのは、例えば地球上であれば「人間は、歩かなければ、移動できない」みたいなルールが見えますが、宇宙空間においては「物質は、常に動き続ける」のがルールになっています。

 

スー・・・っとずっと動き続けるわけですね。

 

で、概念上、数学の概念上では、速度を加速し続け、無限の速さにいくような運動もあるとされています。

 

つまり私が言いたいのは、静止や凪のような「ゼロ」状態というのは、明らかに、レアケースであり、又、それを作り出すためには莫大なエネルギーのせめぎ合いによる調和が必要であるということです。

 

エネルギーの調達、つまり、投下資本についてはまぁどうにでもなるとして、その高負荷の調和状態を「起こすため」、「維持するため」、「広げた風呂敷をしまうため(停止させるため)」のコストは、人間目線でいうと、莫大なコストがかかっていると見て間違いないと思います。

 

「ゼロ」状態は、全然基本ではなかった。奇跡的にも見える、匠の技の成す技です。たぶん。

 

しかし、地球に生きてると、静止、凪が基本に見える。それがあって当たり前だ、と。

 

メジャーな視点で見ると、「人間は、ダイヤモンドで装飾されたドレスを、ただの部屋着だと考えている」という風に映っています。たぶん。

 

(どうでもいいけど、この「たぶん。」ってずるい言葉ですね。)

 

砂浜で、ささやかな海風に身を当ててのんびり過ごす・・・そんな人にとっての癒やしの場は、実は超ハイプレッシャー、エネルギーのせめぎ合いを巧みに操っての特殊空間という事実。

 

その事実を飲むことは、まぁできるんですが、問題は、その特殊空間以外の世界観を持っている人と、まったく価値観を共有できないということですね。

 

見ている住んでいる世界のルールが違いすぎる。そうなってくると、戦争や小競り合いが起こらざるを得ません。

 

異なる価値観同士が同居することにより、必然的に歪みが出てくる、暴力的なことが発生する、それを見てみんな逃げ出す、みたいな、まさに地球上のようなこと。

 

結論的には、それも悪くはないのですが、実際に歪みに轢き殺されている人にとっては、so badですね。

 

とりあえず、全滅はないでしょう。全体としては「悪くない」でしょう。被害者にとっては「最悪」でしょう。

 

私の受け方としては、私が「歪まされる」ことは受けましょう、轢き殺されて苦しみましょう、ただ、それをありのままに受け入れましょう、って感じですね。

 

苦しみも永遠ではないはず。たぶん。だから大丈夫でしょう。