娯楽性日記 7/29

俯瞰について。

 

私は、ある干渉により、自分が機能的に落第点で、十分な知識も技術もなく、与えられた場において楽しむ(娯楽性を追求)するしか能がないと考えを改めました。

 

そのビフォーアフターを経てもなお、変わらないもの、継続して使用している技術に「俯瞰」があります。

 

あとは、「独立性」つまり、「私は~」みたいな自分を主語にした概念、人間の有意識の主導権を持っている「他とは区別される『私』」です。

 

独立性の方は、人間として生活している以上、必須になるので(たとえそれが機能性を損なう原因になったり害悪であっても、です)生きているうちは「私」であることは許容しましょう。ただし、程度の問題はあるので「私」を薄くする努力は必要かもしれませんが。

 

一方、変わらないのが「俯瞰」です。これは、かなり重要な技術だと感じています。

 

俯瞰は強すぎるんですよね。逆に、これが無いと、あらゆることができなくなります。

 

機能面では、「俯瞰」をゼロにしたほうが、「強度が高く」なります。なので、機能畑においては、俯瞰しないよ~ということはありえます。

 

例えば、「太陽の働き」とか「死に際の苦しみ」とか。

 

ものすごいエネルギーを継続的に地球に届けてくれる機能や、生物の生への渇望を生む機能など、強度が求められる機能の分野においては、俯瞰はゼロでOKです。

 

そういうケースでは、俯瞰は不要ですが、逆に、このケース以外のあらゆるケースにおいて、「俯瞰」は有効になります。

 

その機能は

・自分の状態がわかる

・「ちょうどいい」を目的としたコントロールができる

・利害関係の壁や、情報世界の壁を突破できる

 

こんな感じですね。

 

これら「俯瞰」の機能が、あるとないとでは、月とすっぽんと言っていいくらいのパフォーマンスの差が出ます。

 

正確に言うと、俯瞰そのものがすごいというよりも、さきほど述べた強度が求められる機能があまりにもメジャーすぎて、そこから外れる俯瞰が相対的に超レアになってる感じですね。だから、俯瞰は、技術の難易度としては大したことありません。

 

世の中にケーキなどの洋菓子があふれすぎているばかりに、たったひとつの普通の羊羹(俯瞰)がめっちゃキラキラして見える、みたいな現象ですね。

 

私が今、俯瞰で最も重要な機能だと思っているのは「自分の状態がわかる」ですね。

 

私は、最近は大体家の中で、リビングの窓から外を見たり、家の中を眺めたりするのですが、実際のところ、この「環境を見る」だけでも、かなりの価値があるのではないかと思っています。

 

家の中見て、どうでしょうか?

 

ぼろぼろですか?火事で崩れていますか?窓の外はいつもの景色が見えますか?

 

これらを見ているのは、世の中で私やあなたくらいのものです。もちろん、家の床にいるダニくんも、同じ対象を見ているかもしれませんが、私目線での景色は、多分私しか見えていません。

 

見えているだけでありがたいと思っている人はいるかもしれません。いないかもしれませんけど、いる可能性はあると私は思っています。

 

だって、例えば人間は、自分の脳内がわかるでしょうか?私はわかりません。大脳とか、海馬とか、解剖したらそうなってるらしいですが、自分ではまったくわかりませんね。

 

もしも、この大脳とか、海馬とかの状況を、誰かが俯瞰して見てくれていたら、とても嬉しくないでしょうか?

 

対象の、健康状態とか、正常、異常がわかるんですよ。私はそれがわかったら嬉しいです。

 

脳だけでなく、例えば胃だったら。胃の壁を俯瞰して、炎症を確認できたら、「じゃあちょっと食べるのやめとこうか」とか、「最近、暴飲暴食したのが良くなかったのかなぁ」とか、自分の体を守る意味で、ちょっと精度の高い行動が取れるようになります。

 

なので、私目線で、「ただ見る」(俯瞰する)だけで、もしかしたらイイコトなのかもしれませんね。知らんけど!

 

私がこの日記を書いたきっかけは、ちょっと「俯瞰」しまくりで自分で制御できてないな~と思ったからです。

 

私は息を吐くように俯瞰している(情報の海においてカメラの位置をころころ変えていろんな景色を見るのを楽しむ)ので、これだと、しょうもないな~と思いました。

 

その後、カメラの位置は、ある程度固定した方がいいな~と判断をしました。

 

視覚の俯瞰は、カメラは家のリビングで固定されているな~と思い、あぁこれも意味があるんだなぁと思った次第です。

 

俯瞰が強いからと言って、めちゃくちゃ使うべしとは言いませんが、控えめの必要最低限の使用でいいので、必須といえるほどの有用な技術だと思っています。

 

運用面を補足すると、俯瞰して終わり、ではなく、俯瞰して得られた情報を元に、現場での次の行動に活かすという続きがあります。

 

鳥瞰しての飛びっぱなしではなく、空から地面に降り立って勝負せよ、という意味です。