娯楽目的日記 7/28その②

日記が書きたいんじゃなくて、本当は散歩に行きたいのに、外はカラッカラに晴れまくっています。

 

1回、散歩としては遠出(駅2駅分くらいの距離の往復)をしてみたんですが、かなりヘトヘトになり、これは腕に半袖のところで日焼けあとが残るくらいの冒険でした。

 

無理をしてしまった。反省して、散歩は日が落ちてくる17時以降にする、というマイルールができました。

 

現在14:00。夏の陽気は絶好調。娯楽日記を書いています。

 

あまり活用していないけど、どしどしどこからかメールが届く、私のヤフーメールを確認していたら、三橋貴明さんのメルマガが目に入った。

 

一つを開いて、中身を確認してみると、またMMTの布教をしているようだ。

 

趣旨のひとつは、「誰かの資産は、誰かの負債であるから、民間に資産があるならば、国に負債があって(債務超過であって)当然」みたいな言説。

 

相変わらず同じ事を言っているので、三橋さんはかなり律儀な方のようだ。背景は不明だけど、情報発信に真摯に取り組んでいる。

 

MMT自体、欧州などの国家財政の債務超過状態を楽観視するためというニーズを満たすために生まれた概念なので、その理論としての程度は知れている。

 

MMTの程度とは、「便利な欺瞞」、なかなか気づきにくいトリックとして価値があるのは確かだけど、欺瞞なので当然それに荷重をかけることは私はしない。

 

MMTはなぜ欺瞞なのか。

 

通貨換算できる資産を、貸方と借方に分析して、資産フローを記録した場合、当然のことながら「貸方総額=借方総額」となる。

 

だから、貨幣発行してる国の財政が負債が大きくなるのは当たり前だ、みたいな論。

 

理論すべてにいえることだが、「こういう切り口で物事を見たら、上手く説明ができる。よってこの見方は正しい。」みたいなのは、「そう見えているだけであって、事実と等しいという保証はどこにもない」というのが前提としてあるべき基本知識です。

 

経済活動を、「貸方=借方」のものさしで見てみたら、国が負債だらけになるのは当たり前じゃないか、みたいな理論も、「三橋さん(とか欧州の経済学者とか)がそう見ているだけ」のこと。

 

落とし穴は、「貨幣のフローは、『物理的・精神的な経済活動』を厳密に正しく反映していない」というところです。

 

このあんパンは120円です。はい120円払います。モグモグ、味は○○かな。

 

みたいな経済活動において、購入者は貸方「あんぱん」借方「現金120円」の仕訳を切ることになりますが、この資産「あんぱん」は、本当に120円でしょうか?

 

答えは否。時と、自分の状態(空腹かとか、金欠かとか)によって、130円にもなりうるし、60円にもなりうるんです。

 

これが経済活動を通貨換算することの現実です。通貨の流れを追って、便宜的な手法で精密に記録していても、「正確な経済活動は追えない」のです。

 

あと、通貨の価値を決める変数には、人々の「信用」というあやふやなものが含まれています。

 

円が普通に主要通貨として、海外との取引が成立している、ならば信用の変動が完全に舞台裏に隠されて、それを無視してもいいような環境が現れます。

 

しかし、過度な金融緩和などにより、誰かが「日本国の経済やべえな?」と思い始めた瞬間から、貨幣価値の暴落というものは現実に起こりえます。

 

実際は、そういった暴落よりも前のタイミングで、インフレ現象が起こるというのがここ近年でわかってきたところですが。

 

このような、「通貨のフローを追ってるだけじゃ、捉えきれない誤差」や「信用の上に成り立っている通貨の価値」という要素を、くさい物に蓋するようにすっきり無視させてくれるのがMMTです。

 

MMTはあまり長続きしないような、欺瞞ですが、MMTがどうとか、そういうこと言ってる場合じゃないような状況に、きっちり向き合うのが大事かなと思います。

 

この日記の内容は、以前の日記でもほとんど同じ事を書いています。テレビの再放送を見ている気分です。懐かしかった。