A diary 9/10

ジャニーズ問題について考えてみました。

 

ジャニー喜多川氏がジャニーズ.Jrに対して性加害を長期間、常習的に行っていたということですが、

 

以前の日記で、書いたとおり、性被害を受けた側が「これは問題である」という認識を、もししていないのならば、問題ではないだろうなと思います。

 

「ジャニー氏からの性被害は嫌だけど」「それでタレントとしての仕事が与えられるのであれば」「問題ではない(耐えよう)」

 

という認識を、多くの所属タレントが持っていたら、そんなに大きな問題ではないですし、そういう考えが、多数派だった時期もたぶんあるのでしょう。

 

しかし、実際に元ジャニーズ.jrの人たちが「これは問題だ」と声を上げているので、現時点ではやはりこれは大きな問題なんだろうな、と思います。

 

自分の性欲を満たすために、男性アイドルを囲い、プロデュースする、というのはある意味欲望に忠実に、効率的に効果がある仕事の仕方であり、客観的に見ると「男好きのジャニー氏が思う存分やりたいようにした」という現象に見えます。

 

それであっても、内部反乱が起きなかった、又は、外部から引きずり落とされることもなかった、という点の背景には、ジャニー氏の芸能事務所の管理能力・プロデュース能力が特に秀でていて、カリスマ性もあったからだと思います。

 

借方「カリスマ性」、貸方「性加害」でバランスシートが保たれていた。

 

しかし、ジャニー氏が没したので、その負債が負債として機能したという所。性被害を負債に比喩するのは適当ではないかもしれませんが、被害を受けて声を上げている人たちにとっては「本人に償って欲しい」という気持ちはあると思うので、そういう意味での「負債」と言っています。

 

私はちょっと首をかしげる点は、ジャニー氏は、自分が引退した後の「ジャニーズ事務所」の在り方を、どこまで気にかけていたのだろうかという所です。

 

「自分が死んだら、もうタレントに性的行為ができないので、どうでもいい」

 

という考えであったなら、その「どうでもいい」の意向通りに、事務所には存亡の危機が訪れています。

 

ただ、芸能界という大金が動く業界で、「男性アイドル芸能事務所」としてかなりの独占企業としての地位を築いておいて、それが「どうでもいい」というのは、ちょっとテキトーすぎないか?と私は思います。

 

「自分が築いた城なんだから、壊れるときも自分の好きにできる」

 

という考えも、理にはかなっていますが、今までジャニーズ事務所を支えた人というのはたくさんいるでしょうし、ファンもいる、スポンサーなどの取引先もいる、それらの関係を簡単に壊してしまうのは、私的には「後先考えてない、軽率だな」という印象を受けます。

 

人の一生なんて、せいぜい100年でしょう。

 

この期間だけ、楽しめればいいや、というよりも、自分の死後も長く続けられるように手配した方がいいと思います。

 

長く続けること自体にこだわるというよりも、現在進行形で生きている関係者に対して、礼や慈しみを持ったら、結果的に長続きするということになると思います。

 

「自分が良ければいいや」というのは、とても自分勝手な印象を受けますが、

 

そもそも「自分と他人の区別が心的に曖昧な環境で生きている人にとっては、強く『自分が良くなくてはいけない』と思わないと、簡単に競争に負けて、大きな流れに飲み込まれる恐怖があるのでしょう。

 

私は明らかに自分と他人の区別はついているので、「自分が良ければいいや」は自分勝手だと思いますが、時代が違うと、生き残るためにそうならざるを得ない場合もありえます。

 

なので、ジャニー喜多川さんを私が簡単に否定できるだけの背景ではないのですが、一言いうとすると、「他人に負けても大したことないですよ」くらいでしょうか。