よくわからないものが多すぎて、わかるものがほんの小さな一握り、暗闇の中のろうそくの火の明かりくらい心細い理解で、生きています。
「それじゃ心細いから」と多くの人は何らかの世界観、ストーリー性を信仰して明るく胸を張って生きていこうとしている。
この世界観に自分を重ねれば、その大きな力を味方にすることができる、みたいな。
力は、必要最低限あればいい、と私は思います。
ごはんを食べるために、お米を口に運べれば良い、たべたお米を消化して栄養にしてくれればいい、それだけでいいです。
「それだけでいい」と言ったものの、「お米を口に運んで、噛んで、消化して・・・」という働きは、かなりすごい機能ですね。
私はこの機能を作り出せるだろうか。現時点では無理である。
ただでさえ他力、ほぼ他力で生きている。人間として生きることはそういう在り方。
何をやるにも他力を味方にしなきゃ始まらないように思える。
突き詰めると権力への欲望とか。他力を操るゲーム。
私は、大きな力っていっても、それを制御するのが大変そうなので、とりあえずご飯を食べる機能だけで、手に余っています。
何か虫に攻撃されたとき、
殺虫剤で倒すか、おとなしく刺されるか、どっちが妥当かはわからない。
ただ、虫に襲われたときは、驚きと恐怖の中で反射的に逃げたり戦ったりするだけ。
そういう時に、大きな力が味方してくれたら心強いだろう。
私は、大きな力とはあまり関わらないところで、静かに居たり居なかったりしていたいです。
有と無の往復、それは幽霊のようだけど、確かに在るということ。
客観的に見て、自分のことがわかるようになったら、安心します。