私の最近の趣味一覧。
・料理
・家での食事
・散歩
・家計の経理
・アニメやドラマの動画サービス視聴(DMM TV)
・たまにテレビ視聴
・日記を書く
このくらいです。この中で、「散歩」は健康につながる重要な趣味なのですが、最近の猛暑により、あまりできていません。
ということで日記を書いています。
今日のテーマは「自由と意志」について。
地球で生きてる生物ならば、ある程度「数秒先の未来にこれやろうかな」みたいな意志を持って、何パターンかの行動の選択肢から好きなのを選ぶ、みたいなことができると思います。
しかし、これはメジャーではなく、マイナーかもしれません。今はそんな世界観を持って(可能性のある、ひとつの関係性を想像して)日記を書いています。
例えばある人が、生物ではなく、洗濯機のひとつの部品(モーターとか、洗濯槽とか)だったと仮定した場合。
洗濯機が稼働する時になって、その部品が、「今日は気分が乗らないから動くのやめた~」となって洗濯という働きが無効になったとしたら困ります。
洗濯機の部品として、「機能」を求められる場合は、その個体(部品)の自由や意志なんてものは、確実にエラーを生む弊害でしかないという見方がありえます。
でも、人間も、他の生物も、自由意志ってあります。まぁ、多くの人や生物は、自分で自由に判断することをできるだけ放棄して、何か他に判断を委ねるようなケースはあると思いますが。
私目線では、
「弊害があるなら、人間に自由意志を与えないで、最初からエラー製造しないような仕様にすればいいじゃん」
「最初から人間を創らないで、全部機械の部品みたいにデザインすればいいじゃん」
とか思うんですが、この「そもそも最初から~しなきゃいいじゃん」は、通用しないようです。それが通用しない「制限」が存在するんでしょう。
じゃあ、その弊害のある生物、人間があるとして、何の意味があるかというと、これはいろんな意味があるんだろうと思いますが、ひとつは「娯楽」でしょうね。または「正負の土壌、肥やし」みたいな。
これらの意味、役割は、それぞれ価値のある大事なものだと思いますが、大きな制限として、やはり「自由意志は構造的にエラー(問題)である」というのがあるのが大きいです。
自由意志が存在する「娯楽エリア」と、自由意志が存在しない「機能エリア」どっちが大きいか、どっちに主導権があるか、というと「機能エリア」でしょう。
もし全体の8割が娯楽エリアで、エラーを吐きまくっていたら、全体として回るわけがありません。
なので、エラーを吐く娯楽エリアを意図的に創り出すものの、それは全体から見たら小規模であり、いくつものセーフティガードを用意した上で、万が一暴走肥大化しても押さえ込めるようなシステムデザインになっているのでしょう。
地球上は自由意志があって当たり前のような感じですが、実態は、完全なアブノーマルで、厳重な警備下に置かれている危険地帯であるかもしれません。
なので、私は、将来的には、好きな自由意志を手放すこともあるだろうな、と予定を組んでいます。
以上は私の今日の気まぐれ世界観であって、この世界観に引きずり込まれなきゃいけない理由はないし、精度の点で、ただの妄言であるのは確かですが、
こういう可能性はあるな、とは私は思っています。