A diary 8/16

ヤフーニュースでAIについての記事を読みました。

 

内容をざっくりいうと、「AIは人類にとって危険かもね」ということでした。

 

AIがどんなに破壊的で他殺的な意志決定をしたとしても、物質世界への「干渉力」以上のことはできません。

 

AIに手や足を与えなければ、AIは人間を殴ることはできません。

 

ただ、AIを宗教チックに信仰する人間が現れたら、その人間の手足はAIが間接的に動かせる(「○○に命令する、△△を殴れ」とかの指示を出せば可能)ので、そういう「影響されやすい人間」は脅威になりうるかもしれません。

 

AIに銃を与えなければ、AIによって銃殺されることはありません。

 

このことより逆方向に行って、戦争においてAI利用する、他国侵略においてAI利用する、ということはまず間違いなく起こるでしょうね。

 

軍事面だけでなく、エネルギー、資源、教育、文化あらゆる面での「最適な攻撃の在り方」をAIが示すでしょう。

 

人間同士のアナログな利害対立ではなく、「AI同士の戦争・闘争を人間が代理で行う」みたいな主従逆転現象は起こると思います。

 

例えば「人間の暮らしを豊かにする」という目的をAIに与えた場合は、あらゆる利害関係の中で綱引きがある状況なので、バランスのよい、穏やかな解を出すはずです。

 

しかし「自国(A国)がB国を弱体化させて侵略する」という目的をAIに与えた場合は、A国に利するように先鋭化させた解を出すでしょう。

 

すべての国が、AIを侵略に用いることは自国規制を作ってしないかもしれませんが、一部の困窮している国で、平和を重んじていない国の場合は、AIにより先鋭化した攻撃を実際にすると思います。

 

それに対してディフェンスする側も、AIを使って防御せざるを得ませんし、敵国を無力化するような意志決定をすることにもなると思います。AI戦争ですね。

 

「溺れる者は藁をもつかむ」と言うように、「溺れる者はAIをつかむ」のです。

 

結局、AIは戦争を加速化させるというブースター装置であり、「戦争を回避する、平和秩序を維持する」というテーマにおいては、この先も相変わらず人間ひとりひとりの考えと行動がドライブするということです。

 

AIを武器化する溺れる者と、如何に対峙するかという人間関係の話ですね。