ボトムアップの脅威

日本の政治は、自民党統一教会問題とか、アベノミクス幻想信仰とか、一般的には批判の対象となるような運営をしています。ツイッターとか見ると一部の人は批判していますね。

 

しかし、「代わり候補の野党、立憲民主党とかが頼りない」という理由で、近年は政権交代は起こっていないし、起こる気配もありません。

 

これを悲観的、ディストピア的だと捉えるのも自然なことですが、私は、この「ダラダラズルズル自民党支配」は、特に悲観することではないと思っています。

 

この前提には、「政界は世界(日本国)の中心なので、そもそも変化しにくい(変化することが危険に思える)」という認識があります。

 

変わりたくない、変われないなら、じゃあほとんど変わらなくていいよ。という諦観のような、やさしさのような、リアリズムのような、印象はどうでもいいですが、物理的な現象として、「変化が見込めない」のが政治の世界だと思っています。

 

西欧の国では、民主的な政治システムが発達し、目まぐるしく変化、発達しているように見えますが、彼らは「国民」が変化していないように私には見えます。

 

日本のように、中心が政界なのではなく、普遍的な人格模型が中心である、個人中心主義である、といった差異があると思います。

 

日本においては、普遍的な人格模型というものがなく、人格よりももっと根源的な心情との接続部が普遍なもののようです。それより上部の有意識とか、理性とかは、日本人は様々なバリエーションがありつつ、それらは無関心の対象になっているので個人差は無いのと同じになっている感じ。心情中心とした支配ですね。

 

心情が主体であり、その在り様が変化しないので、心情中心主義ならば、普通に考えたら変わらないのが当たり前です。変わるための駆動装置が無いからです。

 

変わるための駆動装置が、ゼロから生まれる環境であれば、話は違いますが、現実世界では、急に何かが発生するということがないようなので、それが無い人は、無いまま、というのが道理です。

 

心情周りは変わらないけど、有意識・理性周りは変わることができます。

 

私は必要にかられて意識的に理性を鍛えましたが、私のような特殊な実験をしていない、普通の働いて子供育てて生活しているような人でも、変化する社会環境に順応するために嫌がおうにも「理性を鍛えなければいけない」ことになっている、そして実際に鍛えた人は、日本人にも少なくないと見ています。

 

で、ここで今日のテーマ「ボトムアップ」の登場です。

 

とても能力の高い人を、さらに成長させて組織のトップに据えて「トップダウン」していくやり方は、成立していません。

 

中心の心情が、「おれが主(主体)だ!」と主張しているからです。組織のトップにいる人は「先導者」ではなく、「安全で便利な道具」という位置づけになっています。

 

心情(主体)が、「社会システムを変えるな!危ない!めんどい!」というならば、便利な道具であるトップ人材は、「はい、わかりました」と言うしかありません。

 

かくして、日本の政治システムは取ってつけたような議会制民主主義で、実態は「心情メインの空気読み」が稼働しています。

 

ここで期待されるのは、ボトムアップです。

 

トップは少数の個人なので、簡単に、抑制が効きますが、心情はすべての国民に散らばっています。これらを扱う理性が、「もし変化したとしたら」抑制など不可能です。

 

すべての国民の理性が、「変化を促す駆動装置」を得るまでになったら、社会システムに対して何らかのアプローチが発生します。

 

そうなったら、政界もそれを無視できません。否、政界にいる政治家たちも、理性に軸足を置いた意思決定をし始めます。

 

AIの普及は、それを促すでしょう。AIが決め手になるかどうかはわかりませんが、今、生まれた子供たちはAIが存在している環境に置かれて育ちます。

 

子供たちがAIを駆使できるかどうかに関わらず、「AIという知能が、社会活動の重要パーツとして稼働している」事実を認識せざるを得ません。

 

そうなったら、「あれ、心情(主体)だけで世界は構成されていないんだな」と気づきます。

 

それに気づいたら、「AIを使いこなそう」「AIの間違いに気付けるようにならなきゃ」という発想をする子供は少なからず出てくると思います。

 

「AIは便利だな~自分は怠けてAIに頼っていこう」という子供も、「AIがこんな策を出してきた。そして結果が出た。ふぅんそうやればいいのか」という発見からは逃れられません。

 

「心情が主体のままでも、叡智があると便利だな」そういう発想を、ほぼ全ての子供達が持つことを、誰も止められません。止めたくても止める手段が無いからです。

 

現時点の諸国がやっているように、「AIの使用を禁止する」のが有効に見えますが、AIブームの雪崩全体を止めることはできないと予想します。

 

こうなってくると、日本の「心情主体で、変化を拒む」ブームは、雲行きが怪しくなってきます。

 

この先の日本の未来は「心情主体で、変化を最小限に抑えた最適解にまっしぐら」という流れになると思います。

 

なので、「今の日本の与党が自民党だ、それでもいいでしょう、しかし確実に意味のある変化は不可抗力的に訪れる」というのが私の未来予測です。

 

つまり、ダラダラして、AIの発達を待ってればいいみたいな、楽なルートに乗ってますね。

 

きついのは、金が無いとか、戦争が怖いとか、そっちですね。

 

AIの発達を待ってたら、その間に窒息死しちゃうよ、という状況になると思うので、AIとの共存社会をデザインした上で、最終的に結局辿り着いてしまう「理性」の在り方をイメージし、それ目指して小走りするのが良いと思います。

 

思ったより未来は明るいかもしれない。私が今示したルートを認識できれば、なお希望を失うことはないでしょう。