経済の世界では、色んな指標とかで、分析して、「これとこれは相関関係だね」っていうんを知って、
じゃあ、例えば「円高はまずいから円安にしよう」とか、
「賃金上がってないから、賃金上げよう」とかいうアクションになります。
これって「一箇所へのテコ入れ」になってるんですよね。
でも、経済に関係する要素って、「相互に影響し合ってる」じゃないですか。
基礎となる足場がない(見えてない)感じがする。
では足場は何かというと、強いて言えば「個々人の思い込み」「事実誤認」とか、メンタル上の要素が多分に含まれていると思います。
例えば
「仕事がんばれば給料アップすると」「思い込んでいる」(=希望がある)
だから、「実際に仕事をがんばる」→すると、「付加価値創造され、経済が発達する」
みたいな。
あと足場になるのは、第一次産業の状況とか、資源の確保状況ですね。
モノ・物質関係の動きは、自然界のあるがままなので、ココの影響はもろに受けることになります。
あとは、何があるかなぁ、
大体、経済分析の足場としては、上記の「人のメンタル」と「モノ関係」になると、私は思うんですよね。
つまり、経済が発達するためには、
「(苦しい状況でも)人々が希望を抱いて、資源が手元に十分にある」
っていうのが必要条件であるし、必要十分条件であるかもしれないですね。
あと他の条件としては、経済流動性に担保される「経済効率性」ですね。
だから、経済が発達するための必要十分条件は、この3つで完結されると思うんです。
で、問題は、そもそも「経済が発達してもらっちゃ困る」っていう抑圧があるってことなんですよね。
政府は「経済施策を打つけど」「それで経済発達してもらったら困るから」「何かやってる感のある、まやかしの施策をする」ってなる。
江戸時代からの「生かさず殺さず」「出る杭は打つ」仕草って、
もうターニングポイントを迎えてると思いますよ。
「生かさず」「叩く」をやりすぎて、人が消耗して、希望がなくなって、絶望して倒れていくようになる。
結果、国全体が死ぬルートに乗る。
なので、個人的な勝手な願望としては、これからは「経済発達してもらったら困る」に、「過度に」の一語を加えて、
ルールを「過度に、経済発達してもらったら困る」に更新して欲しいですね。
国全体・国民全体を破壊しようと思ったら、けっこう簡単にできますよ。
「対象の希望の芽を摘んで、絶望させるだけ」で成されるんですから。
それよりも、抑圧があることは肯定するにしても、全体がポシャらないように
バランスを精度高くコントロールする、事の方がはるかに難易度高いし、やる意味があると思います。
抑圧をやや薄くして、経済発達するようにテコ入れして欲しいですね。
おわり