中国が日本に対して「台湾と尖閣諸島における中国の主権を脅かしてはならない」という内容の抗議を行ったそうです。
台湾は日本の所有物ではないですが、尖閣諸島は日本の領土なので、そのラインは超えないようにしてほしいなぁ。国境ラインを超えて手を突っ込んできたら、ラインを超えた分の指先が切り落とされる結果になると予測できた方がいいですね。これは特別なことではなく、一般論です。
で、ヤフーニュースのコメント見たら、「日本は核武装すべき」みたいな意見がちらほら。
もう~なんでそうするんだろう?と嫌になります。
「核武装する/しない」は方向性を決めるだけの論点であって、何かアクション(核武装)をして、効能を得ようとする利益直アプローチみたいなのは止めて欲しいです。
井戸掘ってるんじゃないんだから。「掘ったら水出て嬉しい!」みたいな感じで「核武装したら安全で嬉しい!」みたいなことでしょう。「リンゴを食べたら美味しい!」みたいな。
日本が核を持つということは、未来はどうなるかわからないけれど、「核の撃ちあいを許容する」ってことですよ。その運命への道を歩むということ。
方向性を決めるときは、直接的な利益なんてまったく眼中には入らないですよ。その方向に進むと決めた後の、道のり、過程での「人間の営み」が利益を生みます。
自分を活かす道、それが活路です。活路自体は利益を生みません。その土俵で戦うことによって、自らの働きで利益が生まれるという、当たり前のことです。
日本に核配備を求める人は、核兵器の撃ちあいが盛んな土俵で、生き残る自信があるんでしょうか。私は高確率で死ぬ自信があります。
あらゆる国が核を持ち、脅し合い、脅しが無力化したあたりで実際に撃ちあいになる、そういう方向性、道を選ぶこと自体が、極めてハイリスクであり、活路と真逆のまさに死路だと、思うんですが、なぜ好き好んで自分を殺す土俵に行こうとするのか不思議です。
活路を選ぶ、って行為自体が、認識されていないんだと思われます。
道を選ばなくても生きてこられた、それはとても幸運なことですね。
ただ、事実として、活路をいけば生き残るし、死路をいけば破滅する、その事実は変わりません。
自分の運命が、自分の判断にかかっている、ということも、おそらく認識されていない。
他律的、というのでしょうか。誰かの思惑にのって、不本意に得したり損したり、ディズニーのアトラクションのように。
こう考えると、なるほど、そういう世界の見方もありうるな、と納得しました。
平気で死路に迷い込もうとする人を見ると、「大丈夫か、この人」と心配になります。現実には大丈夫じゃないのですが、そういう運命を、おそらく少年少女の頃に選んだのでしょう。
この日記で、とりあえずの警告を表現して置いて、あとは好きに解釈してもらう感じになるんでしょう。