日記 7/24

<今日の献立>

昼食:カレー(一昨日の残り物)

 

夕食:おじや、トマト、りんご

 

カレーは学生食堂のカレーみたいな味で、食べやすく美味しかったです。

-----

今日の世界観は、「過去、未来との付き合い方」について。

 

以前の私は、できるだけ未来について可能性を複数列挙し、自然な運命の大枠を把握して、それに沿った形で、自分の都合の良い未来を選択していく、みたいなことをやっていました。

 

運命はねじ曲げることができると思っていました。かなり疲れますが。

 

今は、これもやればできると思いますが、自由意志を持っているエラーである人間が、こんなに力強く領域を拡げてしまうのは、ちょっと無理があり、大きな流れとの摩擦が激しくなるので、今はやろうとは思っていません。

 

私が今やっているのは、「より良い行動を追求しよう」のプラス志向ではなく、「やらなくてもいいような、無駄に複雑でややこしい行動をしないようにしよう」のマイナス志向です。

 

この日記も、ややこしいので止めた方がいいので、散歩によく行けるようになれば、書かなくなるかもしれません。

 

で、未来との付き合い方ですが、基本的には「私にはわからない」「何が起こっても不思議ではない」という状況です。

 

未来のことを考えるというのは、背景には、「余裕を持つ」とか「将来の被害を減らす」とか、自由意志アリ目線での施策になります。

 

昨日の日記に書いたように、自由意志はマイナー路線、主導権のない弱い基盤なので、その基盤の上に築かれる「未来予測」というものは、「けっこうしょうもないこと」となります。なのであまりやる必要がありません。

 

私にとってやる必要があるのは常に「今」と対峙することです。できれば全力で、今と向き合い続けるのが好ましい。疲れるので常にフルパワーはなかなかできませんが。

 

例えば、「今」目の前に時限爆弾があり、赤と青の2本のコードがあるとする。

 

ここで、「時限爆弾を解除しないと、爆発して私が被害を受けそうだな」という未来予測をしたとします。

 

この程度の、非常に近い未来(数時間後とか)ならば、予測しても支障がないと思いますが、私が「今」ときちんと対峙するとなると、次のような発想になります。

 

「時限爆弾が爆発するかもしれないし、しないかもしれない、それはわからない」

 

「この状況で、何か対策するべきか、それともするべきではないのか?」

 

「結局、何もわからない。さて、どうするか」

 

「とりあえず、爆弾についてはよくわからないから、距離を取って、防御姿勢を取ることにしよう」

 

みたいな感じです。

 

ここで重要なのは、「距離を取って防御姿勢を取ることが正解か否か」ではなく、「未来ではなく、今を見ているか」です。

 

「自分が被害を受けるか否か」ではなく、「ちゃんと今を生きているか否か」が重要であると私は思っています。

 

ここで、時限爆弾についての知識があり、かつ、爆弾を解除する技術を持ち合わせている人の場合は、私とは違う行動を取るかも知れません。

 

「距離を取って防御姿勢を取る」ではなく、「時限爆弾のコードを正しく切断し、爆弾を解除する」とかいうアクションを取るかも知れません。

 

それならそれでもいいのですが、「みんなそれができるようにならなきゃいけない」わけではないのです。

 

できるやつは、技術を使うなりして対処すればいい。

 

しかし、できないやつは、できないなりに、今におけるベストに近いことをやればいいのです。

 

結局、今と対峙しているかどうかについては、技術や知識は関係がありません。それ以前の、準備段階の問題です。

 

今と対峙する姿勢が取れているかどうか、その後に、何らかの対処があったりなかったりします。

 

人間の中には、私のように「結局、何もわからない」人は他にもいると思います。

 

そういう人は、「上手くできなくてもいいから」今ときちんと向き合った方がいいですよ、とアドバイスを送ります。

 

ここまでまとめると、

 

・未来はわからないし、見てもしょうもないから、見なくてもいい(ただし、短期間で簡易な未来予測はOK)

・今をきちんと見て生きるのが大事

 

となります。

 

あとは過去です。過去については、簡単です。

 

「過去起こったことは、すべて間違っていない」です。

 

最近ビッグモーターという中古車買い取り販売会社の保険金詐欺的な手法がニュースになっています。(私はそんなに連日報じなくても淡々と法的に処理すればいいと思っていますが)

 

この、ビッグモーター社の反社会的な業についても、今ではなく、過去において行ったことについては、「すべて間違っていない」ということになります。

 

「えっ?いいの?」と思ってしまうようですが、いいんだと思います。

 

ただし、間違っていないのは常に「過去」においてですから、「今、間違っていないのか?」に関しては、「そうとは限らない」ということになります。

 

国土交通省が当該社の調査をして、もし、なんらかの行政処分が下されるのならば、「ビッグモーター社のやっていることは、今は、ダメなんだね」という解釈になると思います。

 

これは統一教会とかにも通じますね。過去はいいけど、今は良いとは限らないです。

 

過去に何かやらかしたとしても、それはそれで、間違ってはいなかった。これは人間にとっては都合がいいですね。よかったです。

 

後悔も、罪悪感も、抱いてもいいのですが、「過去は間違ってない」のだから、そんなに過度に思い詰める必要はありません。

 

ただ、この「過去」と「今」の関係を見て、わかると思いますが、「過去からずっと同じことを繰り返す(再現性に依存し続ける)」ことが、無謀な暴走に見えてきますね。

 

ビッグモーターは不正をし続けました。

 

いつまでか?「法的に咎められるまでずっとやり続ける」です。

 

ローマ帝国は隆盛を極めました。

 

いつまでか?「ローマ帝国が滅びるまで」です。

 

これらを見て、もし教訓を得ることがあるとすれば

 

「過去はすべて間違っていなかった、そして、我々は常に今を見て生きていこう」

 

ではないでしょうか。

 

めっちゃ長くなりましたが、過去、今、未来について、私の今の考え、世界観を書いてみました。この世界観に、囚われるのも、無視するのも、自由です。