「なぜ世界は存在しないのか」感想文 その3

2章 存在するとはどのようなことか

 

<要約>

・対象が存在するということは、他対象との相対的な性質の区別によって、認識される

・すべての性質を備えた超対象は、一元でも二元でもなく、多元的な対象たち、という様相で成る

・存在すること=何らかの意味の場のなかに現れること

・「『意味』の場」における『意味』とは、対象の性質ではなく、対象が現象する仕方のこと

・対象領域は、主に学術研究において語られる領域のことで、一方、意味の場は、より一般的な概念であり、芸術などの不可算な対象が存在しうる場である

 

<感想>

2章に入り、だんだん、何度も読み返さないと理解できない感じになってきました。合ってるかどうかちょっと不安ですが、内容はたぶん要約に書いた通りだと思います。

 

ガブリエルさんの思考スタイルがだんだんわかってきたんですが、まず、「哲学を用いて、考えていこう」というスタイルですね。プロの哲学者なので当たり前なんですが、私はその手段、つまり哲学自体の精度を疑ってます。

 

哲学は、簡単に言うとやってることは「客観視」なんですが、客観視が万能だと私は思っていません。場合によっては非常な便利な手段であることは同意しますが、研究対象を、外側から眺めるだけでは、わかることもあるし、わからないことも両方あります。

 

ガブリエルさんの論には「哲学を用いて考えてみると、Aには矛盾が見えるので、Aは違う、及び、無矛盾になるのはBなので、Bが正しい」という形が見えるのですが、哲学・・・「人間の思考・認識方法の観察・洞察」と換言できますが、この観察や洞察をやってる張本人は、人間です。この人間というのが、数多ある生物のパターンのひとつだという点が抜け落ちてる気がします。

 

人間が行う観察・洞察は、人間にとってはとても有意義で素敵なものですが、わかりやすくいうと、例えばカマキリ虫が行う観察と同じグループの行動であり、かつ、厳密に言うとカマキリ虫とはかなり違う行動です。

 

私は、基本的には、カマキリ虫のものの見方も、人間のものの見方も、等価だと思っています。たまたま、私は人間なので、人間のものの見方を重要視してるだけです。そしてもちろん、未知の生物Xのものの見方もあります。未知の生物が、どんなものの見方をしてるかについては、はっきりいって、なんでもあり得ると思います。

 

ガブリエルさんの場合、人間の哲学はこうやってやるもんだ、という歴史的に積み上げられた方法論があって、「それを用いて考えるという前提」があるんですよね。

 

私にはその前提がないので、その前提を想定した上で、文章を読まないと、正確にガブリエルさんのゆってることがわからないという苦労があります。

 

で、そういう意味でいうと、「人間のものの見方」というある程度決まった(普遍的で固定的な部分がある)フォーマットで、「どう考えるか?」という志向なんですね。そういうことなので、それに従って、読み進めようと思います。

 

要約にも書いた「意味の場」という概念は、今まで私になかったので、けっこう面白いな、と思いました。人間フォーマットでなら、矛盾点や問題点があまり思い浮かばないし、私もこの考え方を採用してみます。

 

最後の方で、ガブリエルさんは「人間は、宇宙の中の無限小のような存在で、誰にも気にかけてもらっていない」と書いてあり、ちょっと意外でした。人間フォーマットを重用してる一方で、人間の存在自体は取るに足らない、と言っていてそのギャップが不思議に思います。

 

これは10代の頃の私も思っていました。私が想定していた神は、「私にほとんど関心がなく、かつ、大きな力を恐れている」という性質でした。現在ではある程度これを自分で否定しているんですが、いや、そういう神もいるかもしれないな、と可能性はゼロじゃないかもと思っています。

 

このことに関しては、「宗教」の章で書いてある、とのことで、ちょっと楽しみです。