哲学者たち

「いま世界の哲学者が考えていること(岡本裕一朗著)」という本が家に届いたので、読んでみました。

 

対象は、社会人、大学生、中高生とのことで、現在の問題と、それに対する哲学者たちの解釈のわかりやすい部分を幅広く扱っている、哲学思想入門、という感じの本でした。

 

私の目的「尖った人の思考を観る」は、あんまり果たせなかったんですが、今の新自由主義とか、イスラム教とか、環境問題とか、シンプルに知識として知れてよかったな、と思えた箇所もあるので、私の教養もわずかにアップできてよかったです。

 

読んでるなかで、素朴心理学(簡単に言うと研究者じゃなくて素人が扱う心理学)という言葉が出てきて、「あっ私がやってたのは素朴心理学なんだな」とわかりました。

 

素朴・・・なんかダサい響きですが、「素直」みたいなニュアンスもありますね。

 

私がなぜ素朴に心理を扱うのかというと、そこで得た知見とか技術とかを、素人にインストールしなきゃいけないと思ってるからです。

 

結局、社会というのは構成員に依存しているわけで、社会を変えたい、良くしたい、という望みを叶えるためには、構成員の中身を変えるという工程は外せないわけです。

 

そのためのあらゆるアプローチは試されるべきじゃないかと思います。

 

一方、哲学者の人たちの活動を見ると、率直に「この人たち一体何がしたいんだろう?」という感想を持ちます。

 

「過去の学者の思考モデルを引用したり、進化させたりして、現状を解釈・表現する」ということをやってると思うんですが、これってやり方として良いんでしょうか。

 

昔ある学者がAだと言って→その後にある学者が「Aじゃない、Bだ」と言って→今はBで説明できない現実になってるから、Aを進化させた「改A」が正しいんだ、とある学者が言う

 

みたいなことだと思うんですが、正解がAでもBでも改Aでもなく、Cだったら、この人たちどうするんでしょうか。「過去の考え方の延長に正解がある」という共通認識があるんでしょうか?

 

仮に、Cが正解だとしても、社会の主流の構成員たちが納得する思想がAだったなら、社会はAと矛盾しない形で運営されますよね。で、Aは不正解なので、必然的に致命的な問題に直面します、と。だからAはもう古い、改Aだ!みたいな流れ。

 

これって、何か、停電して真っ暗な部屋で、ドアまで壁つたいに進む人みたいですね。壁(AとかBとか改Aとか)を伝って、進んでるような印象を持ちます。

 

なぜダイレクトにCに辿り着けないのか?あるいは、ダイレクトにCに行こうとしないのか?不思議です。私は正解Cは持ってないですが、Cに続く近道を進みたいと思っています。

 

「壁つたいで、迷ったり、遠回りしても、継続すればいつかはCに辿り着けるよ、その過程をみんなで楽しもうぜ!」みたいな趣旨ならば、それはそれで良いと思いますが、それって、趣味じゃないですか?

 

学者の仕事は「一般の素人を導きつつ、Cを目指す」でないとやだな~と思います。学者がそれやらなかったら、他に誰がやるんでしょう。

 

まぁ、できないのにも理由や背景があるのでしょう、もしそれができてたら、誰も今困ってないのかもしれません。

 

ここにも絡まったあやとりがあるようで、少しづつひもをほどいていかなきゃだめなんでしょうね。