元乃木坂46の山崎さん

ツイッターを見てて、考えさせられるニュースを見たので、考えたことを書こうと思います。

 

最近、テレビコメンテーターとしてがんばっている元乃木坂46の山崎玲奈さんが、

 

米国の大学でのイスラエルへの抗議デモを見て、

 

「大学を停学処分になる可能性もはらんでいる中で、デモの有効性ってどこまであるんだろう」

 

という意見を言ったそうです。

 

これを見て、私は、「なるほど、素直な発想だな」と思ったのですが、

 

意外と、「デモは損得でやるもんじゃない」といったような批判が集まったそうで、これが私は「おやっ?」と思いました。

 

日本って、元々デモ文化がないじゃないですか。

 

だから、デモが身近じゃない山崎さんが、「デモって意味あるの?」と不思議に思うのは至極自然だと思うんですよね。

 

デモの意味とは、一種の「アラート」ですね。

 

権力者には、国の統治責任があり、デモをすることによって、

 

「秩序が崩れてるぞー!」という既成事実を作る意味があります。

 

「秩序崩壊しかかっている」というアラートを出すことによって、国の管理者の地位にいる人の責任問題が発生します。

 

よって、それを契機に、権力者が「重い腰を動かさざるを得ない」状況に追い込まれ、秩序維持のために必要な是正処置が実際に行われたりします。

 

管理者に係る、「統治責任」を突いたアクションですね。

 

でも日本では、けっこう昔から、「権力者・管理者には甘い環境」になっています。

 

これは、権力者がそう望んでいるという側面もありますが、平民も含めて、ほとんどすべての国民が「上の立場は甘い方が良い」と望んでいるからそうなっています。

 

ほぼ全員一致で、「偉くなったら天国に近くなる」ことを望んでいるということです。

 

それが、組織における出世へのインセンティブになっている面もあります。

 

これは、日本人が感情主体で動いているからだと思います。

 

感情の世界では、基本的に「みんな平等」ですが、同時に「地位の低い者が搾取され」「地位の高いものが得をする」という一方通行の関係性もあるので、

 

それを現実に具現化すると、「偉い人は天国にいられる」という社会構造が生まれます。

 

※実際には、感情の世界は、宇宙すべてを包括していないので、このルールが適用できないエリアはあるのですが、それがすべてだと誤認されることもあるようです。

 

他方、アメリカとか欧州の人は、そもそも「みんな平等」ではなく、「オレがオレが」の世界です。

 

地位の高い者が地位の低い者を過度に搾取しようものなら、反乱などの戦いが始まってしまいます。

 

一方通行の搾取構造を肯定するような認識が、あまり共有されていない社会です。

 

だからこそ、権力者を法でがんじがらめに縛って、規制する作用が強く働いています。

 

民主主義とか、人権とか、「オレの利益を勝ち取る戦い」を常にやっているということですね。

 

日本でも「オレの利益」はみんな大事でしょうけど、その手段が「高い者にご奉仕して寵愛を受けて」「社会的地位を上げて」「低い者から搾取する」という方法論であって、

 

それは「戦って勝ち取る」というよりも「お恵みを頂く」という感じで、アプローチが異なります。

 

まさに狩猟民族と農耕民族のコントラストのようで、面白いですね。

 

私は平和が好きなので、「戦って勝ち取る」はなかなかめんどくさいな、と思うのですが、一方、日本式のやり方も、あんまり自分の特性にマッチしていません。

 

そのため「自分の人権を差し出す専制政治」でも良いと思ってたりしますし、同時に、「低い者から搾取するシステムやだなぁ」とも思っています。

 

結果、社会からはぐれて、ニートに落ち着いています。

 

山崎さんは、以前、テレビでコメンテーターをしているのを見たことがあるのですが、けっこう「(感情をスイッチオフした)理知的なキャラ」を「やや無理して」やっていたので、

 

「女性なのに、理性の刃を振ってがんばってるなぁ」と微笑ましく思い、ちょっと応援しています。

 

慶應大学の在学中なのか卒なのかわかりませんが、元々頭の良い人なんでしょう。

 

最近、日本でも報道されないですが、デモがあったりするし、

 

政治家(自民党)への批判も大きくなっているようなので、徐々に変化しているようですが、

 

「欧米がデモしてるから、これマネしたら利益得られるんじゃね?」とか、

 

あんまり安直にやらない方が良いと思いますね。

 

デモとか、方法論には、その地域で生きてる人の歴史とか、マインドとかの背景があってのものなので、

 

自分(たち)の特性をよく見極めた上で、「じゃあどうするか」を考えた方が良いと思います。

 

「偉い人が天国で、低い者は地獄のルールでいいの?」

 

「人権とかを、戦って勝ち取るスタイルでいいの?」

 

「それらの加減はどのくらいが丁度良いと思うの?」

 

それらを整理して、よく自分に問いかけてみて、

 

「偉い人が天国の方が良いけど、デモもするよ」とかいう欲張りスタイルでもいいのですけど、

 

それ(欲張っていること)を自覚しているか、自覚していないかによって、

 

結果的に、まともになるか、自滅するかの分かれ道になる可能性がありますよ、と言っておこうと思います。

 

私は「地獄環境でもがんばれる偉い人」に、必要ならば人権も差し出して、何か面白いことを多少無理してやるのが好きですね。

 

他の人は、私に合わせる必要はないのですけど。

 

山崎さんは、自分が正しいと思う意見を素直に言い続けて欲しいと思います。がんばって!

 

おわり