自民党政治に不満を持っている人は多いだろうけど、
政治って確実・簡単に変わる方法ってのがあって、
それは、「自分(だけ)が変わる」ってことなんですよね。
「自分(だけ)変わる」×総人口で、確実に政治は変わります。
なので、「他人や他の群衆はどうあれ、自分だけはまともになろう」
と思って、
それを行動に移せば、いいだけです。
でも、「自分だけ変わっても」
「その力は微弱だし」
「権力構造と齟齬が出たら、叩き潰されるリスクがあるし」
→「大人しくしとくか・・・」
っていう問題があると思います。
ここでも、私は「それでも自分だけがまともに前進してたらそれでいいや」と思っています。
前提として、「自分の都合のいいように周りが合わせてくれる」とは全く期待してないからです。
要は「自分がまともに前進していること」=「自分の問題をこなしていくこと」が最重要であって、
もし他の群衆がその流れに沿ったら(時代が自分に追いついたら)、
「たまたまラッキーだな」ってだけです。
自分の行動の変化ひとつで、「大どんでん返し」を期待するのは無理筋です。
「でも、その大どんでん返しを期待してるんだよ!」
っていう人もいるかもしれません。
そうなのか・・・そりゃ無理筋ですね。
ただ、「自分がまともに前進できているなら」
周りも、「もしまともに前進するのであれば」
確実に行動のハーモニーというか、「協調一致」は現れるので、それほど遠い期待ではないと思います。理論上は。
それに、例えば政治が江戸時代スタイルみたいで周回遅れのように見えても、
ハーモニーの低音(江戸時代)と高音(令和時代)みたいに、時代を超えて、調和するってあるんです。
「あんたら江戸時代は、音が低いな!オレはもっと高音域だぞ!もっと高音域出してよ!」
っていう主張って、けっこう的が外れてて、
別に周波数が違くても、連携ががっちりハマることは可能です。
そういう操作は難しいですけど、
理論上は可能なので、
低音部隊はよりよい低音を追求してもらって、
高音部隊もよりよい高音を追求して、
調和を生み出すような、そんな世界観に憧れています。
パワーで他を圧倒する方法論ばっかりだと、不調和音になってしまうかもしれません。
私は「あなたと私たちは同じ?仲間?」ゲームにはあんまり興味ないので、
世代間のギャップを認めつつ、尊重しあって、
「いろんな奴がワイワイがやがや」「調和してる」ような感じが好きです。
実は、その調和って、常に、すでに実現されているのかもしれませんね。
結局、自分が前に進むんで、行動が変われば、
おそらく他も動き出す=「調和へ向かう」って成るのだと思います。
これは希望的観測かもしれませんが。
ということで、私は自民党を応援しています。
岸田さんは批判の的ですけど、
かなりきつい状況下で、大変そうだな、と陣中見舞い申し上げたいです。
調和って、なんか、リラックスして成立する楽しいイメージがありますが、
「やばいときこそ調和を」っていうカウンターを入れるべきですね。
どれだけ(敵かもしれない)相手を信じられるか、
自分を信じられるか
っていう勝負だと思います。
信じられないのであれば、衝突もアリだと思います。
「自分の利を勝ち取るために、都合の悪い相手をたたき伏せよう」っていうんじゃなくて
「お前の調和しようとする意思を見せてみろ!」っていう
確認のための衝突ですね。
こちらが本気でぶつかれば、大抵の場合は相手も本気で応えてくれると思います。
逆も然り。
同じ衝突でも、背景が異なれば、効果は天と地の差がでます。
太平洋戦争は、日本が「死んでもいい」と思ったから、失敗だったと思います。
私も「地獄行きでもしょうがない」と思って行動しますので、
これは良くないなぁと反省しました。
でも、地獄行きでも、がんばって耐える気はある(頓死する気はない)んですけどね。
前提として、存在することって、かなりやばいことですので、
まぁ自分の力量だと、いつ消されてもしゃあないわなっていう諦観もあります。
その諦観の層は100%じゃなく、常にうっすら10%くらいの薄さである感じです。
基本は「生き残る」が是で、
みんな「生き残りたい」んだから、できるだけ潰し合いはせずに、
調和路線を追求した方が私は楽しいです。
という特に強い主張もない、徒然なる言葉を垂れ流してみました。
次回からまた何かの良いところを褒めようと思います。
おわり