パレスチナ医師の道程

ヤフーニュースで、ガザの病院に勤務していたハマム・アロー医師が、自宅への爆撃を受け、亡くなったという報道を見ました。

 

ご冥福をお祈り致します。

 

ガザで亡くなっている医師、又は人道支援メンバーは、彼だけではないでしょうが、戦中にメディアからのインタビューを受けたことから広く認知され、「医師の鑑のような人物だった」とその死を悼む声が多く上がっているようです。

 

彼はインタビューの中で、「私は自分の人生のためだけに14年もの間、教育を受けてきたわけではありません」と、恐れと悲しみを含んだ声で語っていました。

 

この辺は、私も共感するところがあります。

 

私も、少年時代に、親から塾などの教育投資を受け、衣食住に困ったことが無いという非常に恵まれた環境で育ちました。

 

「その投資を受けたのならば」「必ず報いなければいけない」という意識を持っていました。

 

ただ私は、自分の人生を、他者に捧げるとまでは決意していなかったので、その辺はハマム・アロー医師と異なっています。

 

ツイッターで見ても、医師の方は、「救える命を救えない」ということをとても許容できない、という方が多いようです。

 

「それを許容するのはプロフェッショナルではない」という矜持なのだと思います。

 

インタビューで、「もし病院の電気が途絶えたら、人工呼吸器を付けている患者は必ず数分の間に死に至るだろう」と言っていました。

 

「目の前で、医師である自分の手を必要としている患者がいる」

 

そこから逃げ出すことは、「己の人生をかけて、できない」という判断により、結果として、砲弾を受け殉職するということになりました。

 

この辺は非常に難しいですが、当然、逃げるという判断もありえます。

 

ありえますが、どうすべきだったのかについては、答えは彼の中にあり、外野である私がとやかくゆう領域ではないと思っています。

 

アフガニスタン中村哲さんが亡くなったように、

 

大義を持ち、勇敢に、恐れを抑え込み、戦ったとしても、結末としては、死に至るということは、あり得ます。

 

残酷な現実ですが、全力で挑んだとしても、負けることはあるのです。

 

そういう意味で、彼が亡くなったことは、私としては無音の闇の中にいるような気持ちを抱き、残念に思います。

 

しかし、彼が亡くなって、何かが無に帰しているというわけではありません。

 

同僚の医師や、そのニュースを見聞きした世界中の医師、多くの人が敬意を以て襟を正したと思うし、

 

「必ず、彼の意思を引き継ぐ者は現れる」

 

と、私は信じています。それが直近か、あるいは、数十年後か、わかりませんが、気合いを入れてバトンを渡せば、それを受け取る人というのは、現れるものだと信じています。

 

あるいは、他の人の心の中に、彼が残っているということは、現実的にあると思います。

 

生きている者は、死者からのバトンを受け取って、前進するのがいいでしょう。

 

これは奇跡でもなんでもなく、実は、人の歴史とはそうやって紡がれてきたものだと私は思っています。

 

で、イスラエルの攻撃の仕方がよくわからないのですが、

 

ガザの避難先の南部も、すべてを破壊し尽くす気なんでしょうか?

 

イスラエルパレスチナの二国共存でいくんですよね。

 

それならば、南部に避難している非戦闘員を攻撃対象とすることは、道理に合わないです。

 

二国共存で、相手国を殺しまくるというのは、どういったロジックなんでしょうか。

 

それとも、二国共存がブラフで、本当は根絶やしにしたいのでしょうか。

 

このように、「本当の事を言わない」ようであれば、話が前に進みません。

 

信頼関係は崩れます。周囲の国は、信頼する動機を失うからです。

 

イスラエルは、世界に背を向けて、破壊を尽くす立場なんでしょうか。

 

それならば、それで、私も受けますが、

 

「他の人間から信頼されない」ということが、どのような意味を孕むかについては、よく予測して置いた方がいいと思います。

 

欺いて、引っかかるのは最初だけです。

 

欺き続けるのであれば、淡々と、潮が引くように、信用が失われていくだけです。

 

自らの生命線を断ちたいのであれば、欺き続ければいいでしょう。

 

「結局、お前は何がしたいんだ?」という問いをイスラエルに投げかけたいと思います。

 

どういう意思や政治的説明が返ってくるでしょうか。

 

「私のイスラエルへの信用ゲージは刻一刻と、減り続けているようです」と報告しておきます。