イスラエル・パレスチナ戦争 その⑧

ヤフーニュースで、イスラエルのネタニヤフ首相が米テレビのインタビューで、「ハマス掃討後、パレスチナ自治区ガザにおいて無期限で安全保障上の責任をすべて担う」という趣旨の発言をした、とありました。

 

なるほど、責任を負うのは殊勝なことですね。

 

しかし、それでいくと、おそらく開戦準備の早い段階で、「ハマスとの終戦後はどうするのか」という議題がテーブルに上っていたのでしょう。

 

なぜ民間人しかいない救急車や難民キャンプを爆撃するのか、というのも辻褄が合いますね。

 

つまり、終戦後のガザ治安維持のための総コストを下げるために、民間人の人口を削っている。「親を殺されてイスラエルを恨む孤児を残すのは懸念がある」という発想があり、子殺しにも積極的なのかもしれない。

 

この辺の計算は、彼らの能力からすれば、一瞬でやりうる。

 

計算は早いけど、そもそもガザという監獄のような自治区を維持して、なおかつハマスのような暴発因子を押さえ込まなきゃいけない状況に対して、軍事的な能力が足りていなかったというのが妥当な判断ではないでしょうか。

 

イスラエル軍は、他国と比較すると、けっこう強い部類に入るのだと思いますが、与えられている環境に対応する能力としては、足りていないのでしょう。

 

能力が足りていないのに、結果を求めて無理を通そうとすると、悲惨なことになる。

 

日本のブラック企業に勤めている会社員は、これと同じ構造を実体験としてよく知っているでしょうね。最近の福島原発被爆事故とかも同じ構造。

 

私のようにニートではなく、世渡り上手な人は「(戦争犯罪によって女子供が大勢殺されている)ことの責任が何処に回ってくるのか」ということが関心事でしょう。

 

普通に考えれば、イスラエルに責任があるでしょう。だって直接的な戦争当事者だから。

 

でも、イスラエルは目的のために、ガザのパレスチナ人が死んでも全くかまわないという価値観を育てている。

 

だから「女子供を殺すこと」に対する責任は感じていないが、「戦後の治安維持」の責任は負う、という意思表示をする。

 

後者の責任を負うから、前者の責任についてはとやかく言わないでよ、という国際社会との妥協案を示したのが今回の発言の背景だと思います。

 

イスラエルが「敵の身内の命に慈悲をかける」ように変わってくれればいいのですが、もしその方向にいくとしても、10年単位のスパンで時間がかかるでしょう。

 

一方、ハマス掃討は、「今」「すぐ」やらなきゃいけない。

 

時間のスケール感がマッチしていないからこれはとても難しい問題ですね。

 

アメリカは一時停戦など軍事作戦開始を遅らせることを呼びかけるも、イスラエルは拒否した模様。

 

どこに責任を求めるか。誰も責任能力がない。

 

イスラエルデモとかしている世論の一部では、「イスラエルに責任がある」という趣旨の主張をしている。

 

イスラエルが、テロの被害に瀕してもなお、憎しみをぐっと我慢して、敵に情けをかける」ことを期待しているということ。

 

うーん、それが妥当なのかどうか私には判断できません。イスラエル人の内面が正確に見えないからです。ただ、イスラエルに多くを求めすぎではないか?とちょっと思います。

 

平和デモによって、イスラエルにプレッシャーはある程度かかっていると思います。だから無意味ではないと思います。

 

それによって、引き出したのは、「無期限のガザの治安保証」という妥協案。

 

ほんとうに難しい。

 

責任論では、ちょっと効かないので、「それぞれができることを一生懸命やる」しかないと思います。

 

そのできることが平和デモなら、それもいいと思います。

 

アメリカのバイデン大統領は、イスラエルに自制するように伝えた。結果は振るわなかったが、それもできることのひとつ。

 

国連は即時停戦を呼びかけた。

 

パレスチナに同情的になる人もいる。

 

私には何ができるだろうか。とりあえず見ることしかできない。

 

前の日記に書いたように、私は「時間的猶予を設けて市民を南部に避難させてから、北部のハマス掃討」案を推しています。

 

そうやってブログに書くことしかできない。結果は伴わないかもしれないけど、今はそれができることのひとつです。