イスラエル・パレスチナ問題 その④

ガザの病院が、「どこからか」の砲撃により破壊され、数百人が死亡したとの報道を見ました。

 

今、ヤフーニュースを見ると、フランスの調査機関は「イスラエルの砲弾にしては(着弾による)クレーターが小さすぎるので、おそらくハマスの砲撃である」と書いてあり、

 

一方、ヤフコメによると、「どの情報が正しいか確定できない」とあり、一般の方のヤフコメでは「病院が破壊されたという事実さえ真偽不明」と考えている方もいるようです。

 

私は、テレビニュースで、大きい建物が爆破された映像は見たんですけど、これも出所不明、真偽不明なんでしょうか。

 

ツイッターでは、私がフォローしている人文系の教授さんの情報によると、「ガザ北部から南部へ避難した人曰く、イスラエルが南部への攻撃を加えているため、また北部に出戻りする者もいる」という趣旨の話を紹介していました。

 

よくわからないけど、「ガザの人民が殺されまくっている」というのは確かなようです。

 

それをイスラエルハマスのどっちがやったのか、というのは確かなことを言うのは難しいですが、おそらく「どっちもやっている」ということでしょう。

 

戦争というと、当事者目線では「自分と相手、どっちが勝つか」ということがメインになり、周囲の外野目線でも「どっちが勝つか」に注目が集まります。

 

それが人間がやる戦争というゲームの見方ですが、より客観的な視点で見ると、「戦争状態が起こっている」ということ自体に意味が生まれます。

 

「2国間でいざこざがあるから→戦争になった」というのが普通の解釈ですが

 

「戦争状態があるから→いざこざという原因があるように見えている」というのが客観的な視点による解釈です。

 

要は、殺されまくる場を作り出すために、役者(イスラエルハマス)が出番を得た、というだけのことで、この視点においては「両者のどっちが勝つか」というのはあまり着目していません。

 

前にも日記で書きましたが、

 

「やけどをしたから→痛い」ではなく

 

「痛いがあるから→やけどというものが現れているように見える」

 

と同じ事ですね。

 

しかし、人間として生きているのならば、そんなに客観的に見なくてはいけないわけではないので、「どっちが勝つか」「この砲撃はどっちがやったのか」ということに着目するのが自然かなと思います。私はこの当事者目線で見ています。

 

イスラエルも、積極的に殺しまくっているようです。

 

ハマスは、「教義を大義名分にして、暴力を尽くす」という非道いけどわかりやすいロジックで動いていると思います。

 

一方、イスラエルは「(よくわからないけど)とにかく敵を殺しまくる」という、解釈することが難しい仕組みがあるようです。

 

国際社会で、民間人保護とか、ルールがあるのに、イスラエルはそれをあえて無視している。

 

なぜ戦争にルールが必要かというと、なんでもありになるといわゆる「正義行為」と「正義以外の行為」との峻別がつかなくなり問題だからです。

 

警察官が銃の携帯と発砲を許されているのは、「警察官であり」「相応の危険な状況にあった」という条件下で、それが「正義行為」であると認定するルールが存在するからです。

 

「まともな人は、正義の範囲内でのみ暴力を行使できる」、と言い換えてもいいです。

 

イスラエルはどうかというと、「自分が正義じゃなくていいから、とにかく暴力を行使する」というスタンスです。

 

要するにこれは、セロリなんだと思います。

 

「育ってきた環境が違うから すれ違いは否めない♪」

 

イスラエルが育ってきた環境というのは、迫害と虐殺の歴史で、「自分が正義であっても、正義で無くても関係なく、暴力を受けてきた」という環境です。

 

まるで「自分たちはそういう被害を受ける固定的な立場なんだ」と思い込んでいるようです。

 

私にも心当たりがあるのですが、常になんらかの暴力を受けて過ごした人は、「その暴力を受けることを前提にして」、対応を形成していきます。

 

例えば、生まれてから20年間、虐待を受けて育った子は、21歳から急にやさしい夫婦の養子になって劇的に環境が変わっても、すぐには変化できません。

 

やさしい養父・養母に囲まれていても、常に殴られること、罵声をあびることを前提にした考え、行動の20年間の習慣とノウハウが蓄積していますから、その蓄積を手放すことは「無防備な赤子に戻るような」リスクがあると考えます。

 

あるいは、急に変化することができないという側面もあるでしょう。

 

イスラエルも、急に変化することができないのだと思います。

 

なまじっか、ユダヤ人は知恵が高いから、暴力を受ける環境に対応して蓄積した習慣やノウハウも、おそらく高度で洗練されたものになっているはずです。

 

それを手放す勇気や動機が、ユダヤ人の多くは持ち合わせていないということでしょう。

 

つまりは、普通の例えばヨーロッパ人、あるいはアジア人の性質と比べて、ユダヤ人は「大きなギャップがある」という問題があります。

 

イスラエルハマスであるなら、戦力で上回るイスラエルが勝つでしょう。

 

国際世界につきつけられた問題は、2点あって、

 

・過激な原理主義者(テロリスト)をどのように迅速・確実に無力化するか

・普通の人間と大きなギャップがあるユダヤ人(イスラエル人)とどのようにコミュニケーションを取って共感・融和するか

 

ということだと思います。

 

ちょっと前の日記「かなり重要な情報」で言ったとおり、地球で戦争が起こるのは「誰かが何らかの意図により望んで、誰かを使嗾して、戦争を起こしている」からではなく「ALLとして、そうせざるを得ないから」自然になっているという解釈を私はしています。

 

客観的な視点においては、これ以上の俯瞰はありえないので、客観的に見る場合はこれで十分です。

 

私は人間という役割を得ている上では、客観的な視点と同時に、人間の主観目線で解釈し、できるだけ戦争をなくすような志向でいきたいと思います。