なんか、はっきり言って地球含む世界の状況がよく見えていないのですが・・・
言葉って難しいですね。
明らかに以前よりは「見えている」のですが、そのちょっと上がった舞台で、改めて見てみると「よく見えていない」という表現が、適切で正直なものになります。
こういうレトリックの悪戯のようなことが面白くもあり、ディスコミュニケーションの種になるので、やっかいでもあります。
人は少しずつ変わり続けていて、しかも人によって向かう方向は異なっています。
ある人が「自分は不幸だ」と言っていたといっても、実際に不幸なのかどうなのかは、その言葉が「どのような舞台において」発せられているかがわからないと、その情報をなんとも受け取ることができません。
「五体満足で、衣食住も足りているのに、漠然とした閉塞感が不快だから」
→「自分は不幸だ」と言っているかもしれません。
私の今の舞台で、「不幸だ」とは、ライフラインが欠損して、確実に死(飢え死にとか)に向かっている状況のことを指しています。
そこまで追い詰められるまでは、基本的に不幸ではありません。
こういう事を書くと、「あっ」確かに、自分もそうかもしれない。
「自分はまだ、そこまで追い詰められていないかもしれない」と、ピンポン、と発見の音が鳴る人もいるかもしれません。
もしそうであるならば、それを客観視した方がいいと思います。
「無意識的に、無制御に自分の舞台を設定している」ことがわかると思います。
一時あぶく銭を稼ぎ、1日100万円使う生活を数ヶ月続けた。
だからその生活水準が自分の舞台か?
そう思う人もいるでしょうが、それを手動でちゃんと制御して、
「1日100万円も使う必要ねぇな」と
「オレの人生には、それほどの金は必要ない」と
断言できた方が、私はいいなぁと思います。
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で、舞台設定をしようと思うのですが、世界のことがよく見えていない。
こういう時には、あまりもがくことをせずに、「自然体で身を流す」ようにしています。
「脱力して自然に身をまかせる」は、行動としては「ゼロ」のようですが、これは全くゼロではなく「行動しない」も立派な一つの行動になり、責任も伴います。
まぁそれは今は置いといて、自然に身を任せるために、私は何をするかというと、「過去の自分の言葉を引き出しから取り出して、インストールする」ということをやります。
過去の自分は、私からすると他人ですが、彼は便利な言葉をアウトプットするので、役に立ちます。
過去の言葉から取り出したのは・・・
「戦争などの地球上の悲劇的な状況は、全体ALLとして、そうせざるを得ないから、現象として現れている(限界性と必然性がある)」
というものです。これは、おそらく正しく、又、正しいかどうかとは関係なく、受けとして強い態度ですね。
この言葉は私には合いますが、他の人には合わないかもしれません。
なので、他の人はそれぞれ自分にとって「機能的に都合の良い」言葉をインストールすればいいと思いますが、
「所詮、言葉は道具にしかならない、されど便利な道具である」
という点を忘れないようにすれば、どのような言葉でもいいかもしれません。
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そういえば、イスラエルとハマスの4日間停戦が現在進行中ですね。
テレビやメディアでは、「これがきっかけで、本格的な停戦に繋がれば」という希望を持っているようです。
私の見方では、この停戦は「一部の人質交換」ですから、当事者両者の状況としては何も変わっていないだろうなと思います。
ハマスは最初から人質をカードとして認識していますから、そのカードを普通に切ったというだけで、イスラエルの音楽フェスのテロから、ずっと同じ線上にあると見ています。
「人質交換して、よし、仕切り直しだ」という感じだと思います。
イスラエルは、「雑にやらないように」
ハマスは、「絶望しないように」
やれば、ベターかなと思います。
近い未来に良い結果が得られないことが確実であるならば、なおさら「How to do」にこだわるのが良いと思います。
この「ガザの局地的な戦争」が、早く終結することを願っています。